教員との二刀流、そしてプロへの覚悟
大学卒業後、高校の体育教師として働きながら技術選に挑戦するという「二刀流」の道を歩んだ。
「2015年に初めて表彰台に乗ることができたのですが、当時は働きながらでした。働きながら表彰台に立てるまで成長できた、ということにとても印象深さを感じました。」

公立高校の教員として多忙な日々の中でもスキーに打ち込む春原を、同僚たちは温かくサポートしてくれたという。授業の調整や大会期間中の休みの確保など、周囲の理解がなければ両立は難しかったと振り返る。
「土日しか自分の練習時間がなく、その土日も部活動などで潰れてしまうこともありました。だからこそ、その一日一日をすごく大事にして、集中して練習していましたね。当時、『プロスキーヤーには負けたくない』という気持ちがあったんです。サラリーマンでもできるんだぞ、という強気な気持ちでやっていました。」
その後、異動をきっかけに、春原は大きな決断を迫られる。生徒と関わる仕事から事務的な仕事へと変わり、スキーに打ち込める環境ではなくなってしまったのだ。周囲の反対を押し切り、安定した公務員の職を捨ててプロスキーヤーの道を選んだ春原に、後悔はなかったのか。
「後悔したとか、しなかったとか考えた事はなかったです。自分が選んだ道だから、選んだ道を正解にする行動をするだけだったし、どんな結果になっても、受け入れる覚悟はできてました。選手を引退した今も、後悔と言う気持ちはまったくありません。」
「"優勝"と向き合うことが怖くなった」――引退、そして新たな挑戦へ
輝かしい成績を収め、多くのファンを魅了してきた春原だが、引退のきっかけは単一ではなかったという。引退発表をしたインスタグラムでも語られた、自身の病気も要因の一つだが、それ以上に「"優勝"と向き合うことが怖くなった自分」が大きかったと明かす。

「優勝できたものの、次の年に連覇できなかったんです。その時にかなり心が折れてしまって。連覇できなかった自分に、です。その時点でもう引退がちらつき始めていました。」
当時の技術選の方向性の変化も、春原の葛藤を深めた。
「自分の技術や見られている観点と、だんだん噛み合わなくなってきて、自分がやりたい滑りが分からなくなってしまったんです。当時の技術選は、技術より勢いのある滑りがすごく目立つ傾向にあって、それが私のやりたい技術選とはちょっと違うなって感じていました。
私は負けず嫌いなので、いつも勝ちにこだわっていたい。だから、それができなくなった時が引退のタイミングだとずっと思っていて。勝つことにこだわれなくなる前に、自分で引退しようと決めていました。」

2023-24シーズン、最後まで優勝という目標を追い続けるため、病気や引退を宣言せずに戦うことを選んだ。最後の全日本でも引退を誰にも告げず、今できる滑りを精一杯表現した。結果は3位と目標には届かなかったが、このシーズンをもってアルペン競技19年、技術選15年、計34年間のスキー競技生活に終止符を打った。
