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「遺影にしてくれ」――アントニオ猪木、命懸けのイラク人質解放劇【スポーツ界"男気列伝"】

「遺影にしてくれ」――アントニオ猪木、命懸けのイラク人質解放劇【スポーツ界"男気列伝"】

人生が丸ごと“燃える闘魂”だった

損得抜きに夢を追い、いざという時には身銭を切って弱者を救う――スポーツ界には、そんな男気を体現する者たちがいたる。シリーズ「スポーツ界"男気列伝"」。第1回は、モハメド・アリ戦で巨額の借金を背負いながらも、湾岸危機下のイラクへ単身乗り込み、人質解放に尽力したアントニオ猪木を振り返る。

「世紀の一戦」と背負った借金

1976年6月26日、日本武道館。プロレスラー・アントニオ猪木は、ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリと異種格闘技戦を行った。

マットに仰向けになり"アリキック"を放ち続ける戦法は世界中から非難を浴びたが、アリのファイトマネーは約20億円ともいわれ、この一戦で猪木は十数億円規模ともいわれる莫大な借金を背負うことになった。後年、猪木は笑いながらこう振り返っている。

「だからある意味ではバカじゃないとやらない。カネの勘定ができたらやらないでしょう、こういうことは」

損得勘定を度外視してでも、誰も成し得なかった夢に挑む――それこそが猪木流の生き様だった。実際、この一戦をきっかけに新日本プロレスは莫大な負債を抱えることになったが、猪木はその後もリングの上で借金を返し続けるという覚悟で戦い続けた。

弟子だったプロレスラーの藤原喜明氏も後年、「大風呂敷を広げるだけなら誰でもできるけど、実際にアリとやるなんて猪木さんにしかできない。闘うだけじゃなくて、カネも用意しなきゃいけないだろ。何十億だもんな」と師の覚悟を振り返っている。

アリとの“世紀の対戦”は引き分けに終わった

命を懸けたイラクへの旅

その反骨精神が最も色濃く表れたのが、1990年の湾岸危機だ。

「イラクに取り残された日本人の人質を救うため、参院議員だった猪木は現地で『平和の祭典』を開催しようと動き出した。ところが日本政府の意向もあり、どの航空会社もイラク行きの協力を拒否。それでも諦めなかった猪木は、園遊会で出会ったトルコの駐日大使に直談判し、チャーター機の費用を全額自費で負担することを条件に、バグダッド入りの協力を取り付けたんです」(全国紙政治部記者)

渡航前、猪木は生まれたばかりの子どもと写真を撮り、「何かあれば、それを遺影にしてくれ」と言い残して機上の人となったと伝えられている。結果的に「平和の祭典」終了時点では解放の確約こそ得られなかったものの、この行動が突破口のひとつとなり、まもなく人質全員の解放が実現した。

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配信元: 週刊実話WEB

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