依然として存在する「制度の落とし穴」
ここで、今回の〈見直し〉によって発生してしまう「制度の落とし穴」について、私事で恐縮だが、つい最近の筆者自身に発生したケースを例に説明してみたい。
書籍でも述べたとおり、筆者は自己免疫疾患の治療のために2009年以来、16年以上にわたってこの高額療養費制度を継続利用してきた。生物学的製剤を8~12週間隔で投与するため、制度を利用しはじめた2009年の最初の3ヶ月を除き、以後はずっと治療月には多数回該当が適用されてきた。
ところが、まったく予想外だったのだが、今年5月の治療では多数回該当が適用されなかった。長年使用してきた生物学的製剤の薬価がこの4月から引き下げられたことにより、その3割負担分(通常の窓口支払い金額)が自己負担上限額に届かなくなったのだ。
具体的には、これまで治療のたびに月額で4万4400円を支払っていたところが、免疫抑制剤などの併用する処方薬代も含めると、ほぼ4万円ちょうどくらいの金額になった。過去16年間と比べると治療月に支払う費用は約4000円程度安くなったわけで、ごく短期的な自分のフトコロ事情だけを考えれば、薬価引き下げで金銭的に少し助かることになった、といえるだろう(薬価引き下げの医療者や製薬事業者への影響はここでは議論しない)。
ただし、自己免疫疾患の治療は一生続く。現在は寛解状態を維持しているとはいえ、今後ふたたび病状が進行しはじめた場合には、生物学的製剤の投与量を増やしたり別の薬剤に切り換えたりする必要も生じるだろう。その際には、すでに多数回該当の適用からはずれているので、一般の月額上限が適用されることになる。たとえば区分ウの場合だと、この8月1日から適用される新たな上限額の8万5800円を3回払って、4回目からようやく多数回該当が適用される。毎月の投薬治療なら4ヶ月後、2ヶ月に1回の治療だと8ヶ月後になる。
さらに、投与量の増量などで、月額の治療費窓口支払い(3割負担分)がたとえば8万2000円程度になったとしよう。この金額は、現行制度であれば月額上限(8万0100円)に達しているが、8月1日以降の新制度では、月額上限(8万5800円)に数千円ほど届かない。
つまり、いつまでたっても高額療養費が適用されず、33負担分の8万2000円を治療のたびに延々と支払い続けることになる。
そのような制度の落とし穴に陥ってしまった者を救済するのが、今回から新たに導入される年間上限の設定だ。区分ウとエの年間上限は53万円に設定されている。新たな月額上限までわずかに届かない8万2000円を毎月払い続ける場合だと、7ヶ月目の支払いで年間上限を4万4000円オーバーする(8万2000円×7=57万4000円)。そのため、この月は3万8000円(8万2000円-4万4000円)を支払うだけでよく、以後の月からは治療代が発生しないことになる。
ただし、治療が2ヶ月に1回の場合だと、治療費(8万2000円×6=49万2000円)はこの年間上限額に到達しない。多数回該当が適用されていた時期の年間支払額(4万4400円×6=26万6400円)と比較すると、1年間で支払う治療費は22万5600円が増加しているため、以前の倍近い医療費負担になる。しかも、この金額だと新設される年間上限の恩恵にもあずからない。
以上の計算は、筆者の症状が今後悪化した場合を想定した、あくまでも仮の治療費計算にすぎない。とはいえ、このような事例は様々な慢性疾患の当事者や長期治療を受けている人にも発生する可能性があるだろう。
年間上限が多数回該当12回分の費用を基準にしていることはすでに述べたとおりだが、厚労省の資料によると、1年間に高額療養費制度を利用した人のうち12回の利用者は、全体の0.2パーセント相当の15万人と推計されている。
一方、3回から6回の利用は65万人。この厚労省資料は「ごく粗い推計」と断り書きがついているので、推計値の正確性は措くとしても、1年間のうち毎月ずっと高額療養費を利用している人よりも、数ヶ月に一度の頻度で利用している人のほうがおそらく数倍規模で多い、という傾向は見て取れる。じっさいに、『高額療養費制度』の書籍で紹介した、東大大学院五十嵐中准教授(当時/現・慶應大学大学院特任教授)による国保と健保組合のレセプトデータを元にした推計でも、多数回該当の対象者は4~6ヶ月の利用が大きな山になっている(上掲書P149)。
以上のような事情を考えると、多くの制度利用者を救済するためには、将来的に年間上限をさらに引き下げることも検討する余地がありそうだ。たとえば、多数回該当4~6回程度の金額に設定すれば、筆者が陥ったような多数回該当と年間上限の落とし穴にダブルで嵌まるリスクは、さらに避けやすくなるだろう。そもそも高額療養費制度は、現在でもかなりの「高額」な医療費を支払う制度になっているという事実を、とくに政策担当者や政府関係者諸氏には直視していただきたい。
年間上限額の問題点とは
さらにもうひとつ、年間上限に関連する注意喚起をしておきたい。8月1日からスタートしたこの年間上限は、すでに述べてきたとおり、「1年間(8月1日~翌年7月31日)の医療費支払いが一定額を超えると、それ以上は支払いをしなくてすむ」という制度だ。しかし、今年から始まる制度運用では、年間上限額(たとえば区分ウやエの場合は53万円)を超えた月から病院窓口の支払いが自動的にすぐゼロになる、というわけではない。
厚労省が3月19日に公開した資料(図1)には「月ごとの自己負担額が積み上がっても、年間の上限額に達した後は、それ以上の医療費の支払いは不要となります」と記されている。これを読む限りだと、あたかも上限到達後の窓口支払いはいっさい不要であるかのように見える。一方、6月25日付の厚労省ウェブサイト告知(図2)では、「月ごとの自己負担額が積み上がっても、年間の上限額に達した後は、それ以上の医療費については、保険者から還付を受けることができます」と記されている。
[図1:3/19付厚労省資料の年間上限に関する記載]
[図2:6/25付厚労省ウェブサイトの年間上限に関する記載]
誤解のないように明記しておくが、厚労省は年間上限の運用が当面は償還払い(利用者がいったん医療費を病院窓口で支払い、後日に自分の健康保険に申請して超過分を払い戻してもらう方式)であることを別段、隠していたわけではない。じっさいに、2月や3月の国会予算案審議でも公明党議員などが、償還払い方式ではなく窓口支払いが不要になるシステムが完備するまで〈見直し〉案の検討を凍結すべきだと指摘している。事情をよく知る者の間では、これは発表当初から問題視されていた事項だった。
とはいえ、一般の高額療養費制度利用者の間では、「年間上限の開始」のみを政府は何度も繰り返してきたために、上限到達後はいっさい支払いが不要になると思いこんでいた人、あるいは今も思いこんでいる人は、きっとたくさんいるにちがいない。当面のあいだは窓口支払いが必要になることを知らなかった場合には、その場になって治療に必要な資金の調達に慌ててしまう場合もあるだろう。その意味では、無用な混乱を避けるためにも厚労省は自分たちのセールスポイントだけではなく、制度利用者に負担を強いる側面についても、もっと早い時期からわかりやすい説明をしておくべきだった、という指摘はしておきたい。
この償還払い(超過分の払い戻し)が行われるまでの時間は保険者によって様々に異なる可能性があり、具体的なことは自分が利用している健康保険に問いあわせるのが確実だろう。
文/西村章

