スポーツニュースではまずはメジャーリーグが放送され、勝負はデータ頼み、やたらと「若返り」を図ろうとする風潮など、何かと時代に流され気味な日本の野球界に球界のご意見番・エモやんこと江本孟紀さんが待ったをかける。
本来は精神的な支柱になるべき監督の役割について、書籍『ベンチには年寄りを入れなさい』(ワニブックス)より一部を抜粋、再構成し昭和の名監督のエピソードを基に考察する。
オヤジ監督は必ずしも高齢ではない
昔は名監督と言えばオヤジと相場が決まっていたが、実際に彼らが活躍した頃の年齢は印象と違って驚くほど若い。往年のオヤジ監督たちの初就任の年齢と退任時の年齢を挙げてみる。
藤本定義(1904年生まれ) 就任31歳 退任63歳
水原 茂(1909年生まれ) 就任41歳 退任62歳
三原 脩(1911年生まれ) 就任36歳 退任62歳
鶴岡一人(1916年生まれ) 就任30歳 退任52歳
川上哲治(1920年生まれ) 就任41歳 退任54歳
西本幸雄(1920年生まれ) 就任40歳 退任61歳
上田利治(1937年生まれ) 就任37歳 退任62歳
往時を知る人からすると、そんなに若かったのかと驚くような実年齢ではないだろうか。昔の人は、若くして威厳や貫禄を身に備えていたものだと、つくづく思う。
もちろん近年、平均寿命が大きく伸びたことで、「老人」のイメージが変わったのも大きい。
「テツ」でコンプレックス除く藤本定義監督
藤本定義さんが阪神の監督をしていた頃の姿は記憶にあるが、まさに「おじいちゃん」という風貌だった。当時まだ60歳そこそこだったことに驚く。
藤本さんは巨人の初代監督。16歳下の川上哲治さんは当時の選手。阪神監督時代は、グラウンドで巨人の川上監督を「おい、テツ!」と呼び捨てにしていた。
これを見ていた阪神の選手たちは、いつも巨人の選手を格上だと感じていたが、その劣等感がなくなった。藤本さんは、「巨人コンプレックス」を取り除くために、わざとそういう態度を取ったことが知られている。
この手法をのちの監督たちも参考にした。
ヤクルト監督時代の野村克也さんは、記者と懇談するたびに当時巨人の監督、長嶋茂雄さんの悪口ばかり言っていた。ヤクルトの選手は、「うちの大将は長嶋さんより偉いのか」と感じただろう。
やはり阪神監督時代の星野仙一さんも、当時巨人の監督でNHK解説者時代の後輩だった原辰徳をグラウンドで「タツノリ!」と呼び捨てにした。
実際、長い低迷期の間ずっと、阪神は巨人にまったく歯が立たなかったが、意識が変わったのか巨人に勝ち越し、リーグ優勝した。

