大人気コミックシリーズ「キングダム」の主人公である秦の始皇帝は、紀元前259年に秦王政により中国統一を達成。最初の皇帝としてその称号を贈られた、中国史上に残る偉人となっている。
支配地全土の郡県制施行のほか、文字や貨幣、度量衡の統一など、のちの中国皇帝政治の基礎を築いた。しかし一方では血も涙もない独裁者として恐れられ、疎まれたことから、没後には農民による反乱が勃発。秦王朝はわずか15年で崩壊した。
始皇帝こと「政」は秦の王である子楚の息子として誕生。子楚の急逝により、13歳で即位することになった。当時、実権を握っていたのが、先代に取り入って相国(現在の総理大臣)の地位についていた呂不韋という男。実は呂不韋と子楚の妻、つまり政の母にあたる趙姫とは以前から愛人関係にあった。そのため政は子楚の子ではなく、呂不韋と趙姫との間にできた子供だという噂が根強かった。
その証拠に、子楚の死後、趙姫と呂不韋との関係は再び男女の仲に戻っていた。そんな関係が政にバレぬわけがない。政が大きくなるに従い、その存在が疎ましくなった呂不韋は、政を亡き者にしようと暗躍。だが、逆に捕らえられて国を追われ、最後は自殺に追い込まれることになる。
むろん政は「母」趙姫も許さなかった。宮殿に監禁すると「実の母上を幽閉するとは何事か」と異を唱える27人を次々に処刑。見せしめとしてバラバラに切り刻み、その遺体を宮殿の庭に並べたという。
こうして全ての実権を握った政は秦王朝を樹立。最初の皇帝たる「始皇帝」として君臨することになる。
そんな始皇帝が行った暴虐政策のひとつが、歴史教科書でも知られる「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」だ。この政策により、国に都合の悪い歴史書や思想書など、一般家庭にある関連書物すべてが焼き払われ、集まって詩や書について議論しただけで晒し首になった。
始皇帝に批判的立場をとる儒学者などの知識人は次々に生き埋めにされ、その数は460人にも及んだという。
だが、独裁暴君によるこんなやりたい放題が許されるはずはなかった。「焚書坑儒」が秦滅亡の一因になったことで、現在もなお、この暴虐政策は学問や思想に対する弾圧の象徴、「黒歴史」として後世に語り継がれている。
そういえば、今年9月の中国・北京における軍事パレードで、習主席とプーチン大統領が「永遠の命」について会話し、それを中継マイクが拾って大騒ぎになった。始皇帝が部下に命じて「不老不死の薬」を欲したことは有名な話だ。独裁者がいちばん欲しいのは「永遠の命」。そこだけは共通しているようで…。
(山川敦司)

