
北村匠海が主演を務める映画「しびれ」が、第26回東京フィルメックス・コンペティションに選出された。また、写真家・トヤマタクロウ氏による劇中スチールも公開され、主演の北村のほか、共演者の宮沢りえ、永瀬正敏、監督の内山拓也氏、東京フィルメックスプログラム・ディレクターの神谷直希氏からコメントも寄せられた。
■居場所とアイデンティティを模索する少年の物語
本作は、新藤兼人賞をはじめ数々の映画賞新人賞を受賞した映画「佐々木、イン、マイマイン」(2020年)や映画「若き見知らぬ者たち」(2024年)などを手掛け、“現実にあらがいながらも何かをつかもうとする若者の青春”を見つめてきた内山監督による作品。
内山監督自身の故郷・新潟の凍てつく冬を舞台に、居場所とアイデンティティを模索する少年の物語が描かれており、内山監督が「佐々木、イン、マイマイン」より前から執筆を続けてきた構想十余年のオリジナル脚本を用いた自伝的作品となっている。
主人公・大地の青年期を演じるのは、北村。どこにも居場所がない孤独な少年期をくぐり抜け、自分のもとを離れた父への静かな怒り、そして女手一つで自分を育てた母に対し、憎しみと愛、相反する感情に揺れる心の内を体現する。
また、大地の母・亜樹役は、宮沢りえ。水商売で日銭を稼ぎ、世間的には育児放棄と呼ばれるような生活を送るものの、細部に息子への確かな慈愛が滲む繊細な母親を好演する。
さらに、大地の父・大原役には、永瀬正敏。幼少期の大地が言葉を失うきっかけとなる暴君のような姿から一転、時が経ち、かつての威厳が消え、悲哀に満ちた余生を送る男を魅せる。
そして少年期の大地を演じるのは、榎本司、加藤庵次、穐本陽月の3人。言葉を発しない代わりに、それぞれが無垢で力強いまなざしで、心の奥底に渦巻く寂しさや母親への愛情を表現し、物語全体をリードしていく。
■映画「しびれ」ストーリー
曇天に覆われ、大きな波がうねる日本海沿いの町に暮らす少年・大地は、幼少期に暴君のようだった父の影響から言葉を発しない。今は母の亜樹とプレハブで暮らしているが、水商売で稼ぐ亜樹はほとんど家に帰らず、生活は苦しい。やがて亜樹と共に叔母の家に身を寄せるが、どこにも居場所はなく、ひとりで過ごしては内気になっていった。そんな中、大地は父の行方を求めて生家を訪ねることを決意。これを境に、彼の運命は大きく揺らいでいく。
心のよるべなき貧困、誰にも見つからぬように生きる孤独の中のささやかな救い、憎くて愛しい母への複雑な感情。流されるままに生きているようで、歩みを止めない大地。そんな彼がかすかな光を手繰り寄せ、息をのむような大きな愛を知るまでの20年間が、徹底した少年の視点でつづられていく。

■北村匠海「感情という概念がそのまま形になったような、初めての芝居体験でした」
僕は一体誰を演じたのか、間違いなく誰かではあるのですが。ただそれは感情という概念がそのまま形になったような、初めての芝居体験でした。そして僕が抱えていたものは怒りそのものでした。この映画で僕が決めていたことはただ一つで、監督にNOと言わない。監督の見てきたもの、今信じているもの、過去の無くなったもの。そのすべてを、北村匠海を介して表現して欲しいと心に決めていました。この映画で一緒に心中してくれと監督は言ってくれたんです。すごくうれしかった。是非、楽しみにしていてほしいです。
■宮沢りえ「演技の枠を超えてしまうような瞬間があって、それが怖くもあり、面白さでもありました」
壮絶に、もがき、生きた亜樹という役を自分の身体に引きずり込むのはとてつもなく苦しかったけれど、内山監督はじめ、現場にいる皆んながこの作品に対して愛があって真剣で、その熱量に、私自身、演技の枠を超えてしまうような瞬間があって、それが怖くもあり、面白さでもありました。この作品に出会えて良かったと思っています。
■永瀬正敏「全身に“闇”と“負”と“後悔”をまとい続けました」
数日の参加でしたが、全身に“闇”と“負”と“後悔”をまとい続けました。観ていただく方々の“アンチテーゼになれれば”との思いで、監督の願いと揺れをどう具現化するか?そのことだけを考えていた日々でした。この作品を創ること、上映することによって監督の心の中の葛藤が、物語の時間軸とともに浄化され未来へ動き出しますように。東京フィルメックスで上映していただけるとのこと、感謝しています。
■内山拓也監督「見落としがちな日々の美しい断片に気づいたり、生活や人との関わりが愛おしく感じてもらえたら」
小さな世界の大きな物語です。少年の眼差しは、何を捉えているのか。映像と生活音、自然の音が重なり合う。ゆれる感情とともに、海、風、雨、雪。冬の新潟をフィルムに焼きつけました。
過ぎ去っていく日常の中で、息をすること、心の切なさ、恐ろしさ、ときにある喜び、それらの空気を肌で感じること。この映画を通して、見落としがちな日々の美しい断片に気づいたり、生活や人との関わりが愛おしく感じてもらえたらと願いました。
「しびれ」は私にとって人生をやり直すための確かな基盤となったように、人生は何度でもやり直せ、手遅れなことはない、再び人生を歩み出そうとするすべての人々に、それでも前を向きたいと思うすべての人々に、そして存在のない子どもたちに、この映画を捧げます。
■神谷直希氏「内山が何よりも『映画』を信じているからこそ、この領域にたどり着けたのだ」
内山拓也の描く物語の主人公は、いつでも多くを語らない男だった。比較的会話劇に近いかもしれない「佐々木、イン、マイマイン」の主人公でさえ、どちらかというと寡黙な男として設定されていた。
そして本作「しびれ」に至って、内山は主人公からほぼすべての言葉を奪ってしまった。しかし、彼の作品で最も印象に残る主人公を問われたら、多くの観客が本作の主人公を挙げるのではないだろうか。役者の顔と身体に、そして何よりも映像それ自体に多くを語らせること。内山が何よりも「映画」を信じているからこそ、この領域にたどり着けたのだと、この作品を見て確信した。

