
ファミコンはその普及台数を背景に、バブル期ということもあってか、実にさまざまな周辺機器が発売された (マグミクス編集部撮影)
【画像】えっ、2015年まで現役!? ファミコンで馬券が買えた「JRA-PAT」サービス
ファミコンで株取引したり馬券が買えたり! 通信アダプタは意外と成功?
任天堂がNintendo Switchなどの大成功を収めているのは、「どの企業よりも失敗を恐れない」からでしょう。あらゆる可能性を試し、見込みがなければ切り捨て、伸びそうな芽があればとことん育ててきたのです。
数十年前までさかのぼれば、まず「ファミコン3Dシステム」(1987年発売)が見つかります。スコープ(ゴーグル)型のファミコン用周辺機器であり、左右にはシャッターが仕込まれ、高速に開け閉めすることで、左右交互に異なる角度が付いた画面が観られます。
つまり、テレビの上に「左目用の絵」と「右目用の絵」が表示され、交互に見ることで、立体になったと錯覚できるしくみです。それを体験できるのはゴーグルを被っている人だけで、被ってない人にはブレブレの画面が見えるだけでした(一応はふたりまでプレイ可能)。
対応ソフトは『アタックアニマル学園』や『ハイウェイスター』など7本に留まっています。その後「バーチャルボーイ」や「ニンテンドーラボ VR Kit」に3Dのバトンは渡されましたが、いまだにうまく行っていないようです。
続く「ファミリーコンピュータ 通信アダプタセット」(1988年発売)は、80年代末にネット接続を夢見た周辺機器です。アダプタだけで1万9800円、ソフトは別料金、しかも電話回線の工事が必要であり、買った人の数も限られていました。
誕生のきっかけは、野村證券が「ファミコンを電話回線につなぎ、顧客が株取引をできるようにしたい」と持ちかけたことといい、任天堂が通信アダプタを、野村證券がソフトウェアを開発することになりました(「日経エレクトロニクス」1995年9月11日号による)。
その結果「ファミコンホームトレード」サービスが始まり、他の証券会社も参入しています。ほか、日本競馬協会とも協力し、ファミコンで馬券が買える「JRA-PAT」サービスも提供されました。こちらは2010年代半ばまで続いており、「失敗」とは言えないかもしれません。
ユーザー作品のネット公開もできたのに……時代を先取りしすぎた64DD
そして「サテラビュー」(1995年発売)は、スーパーファミコン専用の衛星データ放送サービスの受信機です。本体価格は1万8000円、BSアナログチューナーやBSアンテナが別途必要であり、決して安いお買いものではありません。が、ハードを一式そろえれば、その後は完全に無料でした。
キャッチコピーの「宇宙から新しいゲームが降り注ぐ」通り、衛星放送でゲームやデジタルマガジンがやって来ました。要はダウンロード配信の先がけであり、『タモリのピクロス』や『ワリオの森 爆笑バージョン』などが次々と遊べました。音声放送と制限時間付きのゲームが連動した『BSゼルダの伝説』は、ほかのゲーム機ではあり得ない試みでしょう。
ユーザーにも好評だったものの、任天堂と協力会社のSDAB(衛星デジタル音楽放送株式会社)の方向性が違ったため、2000年にはサービス終了を迎えました。約200万台売れたという説もあり、インターネット時代が来るのを待てず、前のめりに倒れたという印象です。
NINTENDO64用の磁気ディスクドライブ「64DD」(1999年発売)は、通信にも対応してサテラビューの志も受け継いでいました。が、最終的なユーザー数は1万5000人とも1万人ともいわれており、日本国内のみの展開だったとはいえ、N64の国内累計出荷台数554万台に対して、圧倒的に低い数字となってしまいました。
最初に64DDが発表されたのは1996年末で、インターネット接続もあり、データの一部を書き換えることで新キャラや新ステージの追加もできるなどと告知され、大いに期待を集めていました。『スーパーマリオ64-2』や『ポケットモンスター64』も予告されたのですから、盛り上がるのも当然です。
もっとも、N64本体が初代PlayStationやセガサターンが大人気のなかで苦戦を強いられたためか、何度も延期を重ね、実際に64DDが発売されたのは3年後の1999年末でした。
しかも、一般販売はされず、ネットワークサービス「ランドネット」の専用端末として売り出されました。さらに加入にはクレジットカードが必要なため、子供にとっては非常にハードルが高くなっています。
対応タイトルは10本に過ぎず、ランドネットも2001年2月にサービスを全面終了してしまいました。とはいえ、非常に革新的なゲーム『巨人のドシン』は後にゲームキューブで再登場し、描いた絵やパラパラマンガをアップロードして公開できる『マリオアーティスト ペイントスタジオ』は『スーパーマリオメーカー』に先んじています。
またファミコンやスーパーファミコンのゲームを配信する計画(実現せず)は、Nintendo Switch Onlineでのレトロゲームの原型であり、もともと『どうぶつの森』も64DD用のダンジョンRPG企画が出発点でした。ほか『マリオアーティスト ポリゴンスタジオ』内のミニゲーム『サウンドボンバー』は、後の『メイド イン ワリオ』にソックリです。
ようやくインターネットが広く普及したことで、時代が任天堂の「失敗ハード」に追いつきました。が、3D立体視に関しては、まだまだ人類はファミコン3Dシステムやバーチャルボーイの域に達していないようです。
