プロ野球のようなドラフト制度がないサッカーでは、時として激しい選手争奪戦が繰り広げられる。早くから天才としてその名を轟かせていた小野伸二氏が高校を卒業した時は、Jリーグの18チーム中13のクラブがオファーを出し、獲得競争は激化した。
静岡県沼津市出身で清水商業高校に通っていた小野氏は、地元の清水エスパルス入りが有力と目されていたが、土壇場で清水入りを蹴って浦和レッズに入団。世間を驚かせた。なぜ浦和入りを決めたのか、小野氏が鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルで真相を語っている。
「自分はもう、エスパルスに行くって一択だった。エスパルスは経営危機で『会社が潰れるんじゃないか』という時期でもあった。それももちろんあるんだけど、それ以外にその当時、しがらみという言い方は失礼かもしれないけど、大人の人たちが『絶対にエスパルスに行け』みたいな、その雰囲気がめちゃくちゃ強くて、押し潰されそうで苦しくなった」
清商出身だから清水に行くべき、というプレッシャーに耐えられなくなった、というのである。それに加えて、
「でもレッズは毎日、スカウトの人が練習に来てくれる。そのスカウトの人が静岡出身で、本当に嬉しい言葉をかけてくれて。『エスパルスに行くのは分かっているし、でもそうじゃなくて、君のプレーを見ていたいんだ』。その気持ちがすごい嬉しくて。で、そういうものもあって、しがらみというか、そういう強いプレッシャーに自分が押し潰されそうになって、『もしかしたら外に出た方がいいんじゃないか』という、子供ながらの考えで、ある意味、裏切りじゃないけど、高校3年間、清水にお世話になった中で、たくさん清水エスパルスにも関係させてもらったけど、ここは一度、出ようって」
こうして小野氏は浦和に電撃入団。1年目の開幕戦からスタメン出場し、2試合目で初得点する。普通の高卒ルーキーならプロの壁にブチ当たるものだが、
「(自信をなくしたことは)入ってからはない。1年目は特に。とにかく全てが、自分が思い描くようになった。(原監督から言われたことは)自由にやっていい、ぐらい。 高校卒業したばかりで、大原で練習試合させてもらっている時に、自分の中で『やっていける』という感覚にもなったし、自信を持ってプレーできていたのが大きい」
もしプレッシャーのかかる清水に入っていたら、その後の活躍はなかったかもしれない。そう考えると、当時の大英断に拍手を送りたくなる。
(鈴木誠)

