時間が全てを解決する、とはよく言ったものだが、バレンティーノ・ロッシとマルク・マルケスにはそういった言葉は当てはまらない。彼らは2010年代のMotoGPで激しいライバル関係を築き、シリーズを盛り上げた。皮肉にも、ふたりが直接チャンピオンを争ったことはほとんどなかったのだが。
彼らの関係に決定的な亀裂を生んだのが2015年MotoGPマレーシアGPでの接触だったとしたら、当人たちも、そして彼らの熱心なファンたちも、10年前の出来事をそろそろ水に流してもよさそうなものだ。ロッシは既に4輪レースに転向しているし、マルケスは引退寸前まで追い込まれた大怪我から復活し、MotoGPで7度目の王座を獲得したりと、今やふたりは全く違う道を歩んでいる。
それでも、この確執はMotoGP史上最も語り継がれる因縁のひとつであり、10年経った今もファンの間で賛否が分かれている。
まず第一に、あの時代のMotoGPは今も語り継ぐに相応しいほど強烈だった。マルケスやロッシだけでなく、ホルへ・ロレンソ、ダニ・ペドロサ、アンドレア・ドヴィツィオーゾといった類まれな才能がそろい、激しいレースを繰り広げていた。
しかし、そんな黄金時代の記憶の中で今なお火種が燻り続けているのが、2015年のセパンでの一件だ。
三つ巴のタイトル争い
レプソル・ホンダの驚異の新人マルケスは、MotoGPクラス1年目の2013年からタイトルを連覇。しかし2015年はヤマハが反撃を見せ、ロッシとロレンソによるタイトル争いが勃発した。ロッシは既に9度の世界選手権王者であったが、最後にタイトルを獲得してから6年が経っていた。一方2010年、2012年の王者であるロレンソは速さと冷徹さを持ち合わせ、イタリアの英雄ロッシを倒すのに十分な実力を備えていた。
もし、このふたりが常に集団から抜け出し、ふたりだけで直接勝負していれば、物語は違ったものになっていただろう。しかしそうはいかなかった。ホンダのマルケスがそこに食らいついてきたのだ。
ロッシとマルケスの対立はシーズンを通してくすぶっていたが、それが爆発したのがマレーシアのひとつ前のレース、オーストラリアGPだった。
フィリップアイランドのレースで優勝候補筆頭だったマルケスは、最終ラップでロレンソを交わして優勝。しかし4位に終わったロッシが、「マルケスは意図的にペースを落として自分のタイトル争いを妨害した」と主張。とはいえ、マルケスは最終ラップでトップに立つことでロレンソの獲得ポイントも削りにかかっており、その理屈は通らないようにも思えたが、ロッシの中ではそういった“陰謀”が脳内に渦巻いていた。最終的に集団から抜け出せるほど速かったマルケスが、なぜあれほど慎重に走っていたのか、と。
運命のセパン
いずれにせよ、セパンにやってきたロッシは明らかに苛立っていた。彼は記者会見の場でも、マルケスはスペインの同胞であるロレンソを助けるためにレースを操作しているのだと非難した。
迎えたマレーシアGPで、ロッシとマルケスは歴史に残るドッグファイトを演じた。お互い一歩も譲らず、毎周のように順位が入れ替わった。そしてターン14への進入で、イン側のロッシはアウトへと膨らみ、マルケスの方を見た。その直後、2台は接触──マルケスは転倒し、リタイアとなった。
この事故は大きな波紋を呼び、ロッシにはペナルティポイント3点と最終戦バレンシアGPでの最後尾スタートという重い罰則が科された。最終戦でロッシは壮絶な追い上げを見せ4位でフィニッシュしたものの、優勝したロレンソが逆転でタイトルを勝ち取ったのだった。
今日に至るまで、ロッシはマルケスがロレンソを助けるために自分を妨害したと信じている。マルケス側はこの確執について多くを語ってはいないが、関係修復には積極的ではない。
Moto2ライダーのルイス・サロムが事故死した2016年のカタルニアGPではMotoGP界が結束し、ロッシとマルケスも互いの健闘を讃えるなど雪解けに向かったかに思われたが、コース上での衝突によりその関係は元通りとなった。
F1で有名なライバル関係と言えばアイルトン・セナとアラン・プロストだが、ふたりはプロストの引退レースで表彰台上で握手を交わし、友人に戻った。しかしロッシもマルケスも、今もパドックで目も合わせようとしない。当事者たちが前に進もうとしない以上、ファンがそうできないのも当然だろう。
「蹴ったのか、滑ったのか」
セパンでのアクシデントに関して、今も争点となっているのが、ロッシがマルケスを“蹴った”のかどうか。彼の脚が単に滑っただけとする見方もある。
当時のMotoGPレースディレクターでさえ、確認可能なカメラアングルからは明確な答えを見出せなかった。マルケスがペースを操作していたことは事実とされたが、それを禁じる規則は存在しない。せいぜい、フェアプレー精神に反すると言えるくらいだ。一方でロッシはマルケスを意図的に外に押し出し、転倒を誘発したという点でレギュレーション違反と判断された。最終戦の最後尾グリッドという罰則は多くの人を驚かせ、ロッシ自身も一時はレースを棄権することを考えたという。
ロッシは最終戦で全力を尽くしたが、敗北。それが彼にとってキャリア最後のタイトル争いとなった。感情的に見れば、この敗北が彼に与えたショックは計り知れないだろう。だが冷静に見れば、ロッシはフィリップアイランド以降、マルケスに心を揺さぶられてしまった結果として敗れたとも言える。当時はロレンソに対して大きなポイントリードがあり、集中力さえ保てばチャンピオンを獲れた可能性が高かった。
マルケスがオーストラリアで本当にロッシを「妨害」したかどうかは憶測の域を出ないが、マレーシアではロッシを弄ぶようなライティングをしていたのは確かだと言える。そしてそれは、ロッシが事前の会見で個人的攻撃を仕掛けたことへの報復だったと言われている。
両者の“その後”
いずれにせよ、当時のロッシはMotoGPシリーズ自体よりも大きな存在であり、ファンは確執を自分事のように捉えた。マルケスとロレンソはブーイングの対象となり、ロッシの地元イタリアのレースでは追加の警備が必要になる程だった。
その後、ヤマハのバイクが優位性を失っていくと共に、ロッシの成績も年齢とともに下降していった。だからこそ、ロッシと彼のファンにとって2015年の敗北は一層苦いものとして記憶されている。
一方のマルケスは批判をエネルギーに変え、2016年以降4年連続で王座を獲得。ロッシの引退後も緊張感は消えず、2020年にはロッシが自らの影響力を使い、マルケスの弟アレックスのペトロナスSRT入りを阻止したという噂まで流れた。
今もロッシはVR46チームのオーナーとしてMotoGPの世界で存在感を示している。そして今もなお、ファンから神格化された存在だ。
マルケスはロッシとタイトル獲得数で並んだ一方、ロッシのような熱狂的ファン層を得ることはなかった。マルケスのファンは今、彼が勝ち続ける姿を見ることができているが、“あの頃”のようにトップクラスのライバルたちと勝利を争う姿を目にすることはできていない。
問題の核心はそこにある。MotoGPではあの一件以来、同規模のライバル関係が生まれていない。フランチェスコ・バニャイヤ対ホルへ・マルティン、バニャイヤ対ファビオ・クアルタラロといった近年のバトルも悪くはないが、ロッシ対マルケスのような生々しい感情のぶつかり合い、ドラマには欠けている。
現時点では、マルケスもロッシも2025年のMotoGPマレーシアGPには姿を現さない予定だ。しかし、たとえふたりがセパンへの旅を見送ったとしても、10年前の一件から生まれた“亡霊”は未だサーキットを彷徨っていることだろう。

