90年代前半、ZARD、B'z、WANDS、大黒摩季、T-BOLANなど「ビーイング系」と呼ばれるアーティストが音楽チャートを席巻した。誰もが知るヒット曲を連発しながら、アーティストがテレビに登場することはほとんどなく、その実態は謎に包まれていた。メディアに姿を見せず、音楽の力だけで時代を席巻した一大勢力「ビーイング」とは、一体何だったのか。
ミラッキ著『90年代J-POP なぜあの名曲は「2位」だったのか』より抜粋・再構成してその秘密をお届けする。
90年代の音楽シーンで無双状態だった
90年代前半、ランキングを席巻したものの、その全貌をハッキリ知る人は少なかった一大勢力「ビーイング」。TUBE、B'z、T-BOLAN、WANDS、ZARD、大黒摩季、DEEN、FIELD OF VIEWなどのアーティストが「ビーイング系」と呼ばれ、チャート上位を賑わせた。創業者は長戸大幸。前述のアーティストのみならず、80年代前半にはBOØWY、LOUDNESSなど伝説のバンドのプロデュースを手掛けている。
設立当初は音楽制作会社、アーティストマネジメントの事務所だったため、各アーティストが所属するレコード会社・レーベルは異なっていた。たとえば85年デビューのTUBEはCBSソニー、88年デビューのB'zはBMGビクターからのデビューといった具合だ。
90年代に入ってから、各レコード会社の中に構えていたビーイング専門レーベルを法人化。ビーイング系列初のレコード会社ビージン(のちのZAIN RECORDS)、さらにBMGルームス(のちのRooms RECORDS)、B-Gram RECORDSがされた。95年にはビーインググループが発売する音楽ソフトの販売を担当するJ-DISC Beingが設立され、楽曲制作から流通までをすべて自社グループで担うようになった。
簡単にまとめると、ビーイングは「長戸大幸が創業した音楽制作会社・マネジメントの事務所。のちに系列レコード会社も設立し、最終的には流通まで手掛けるようになったグループ」ということになる。
そして、90年代前半から半ばにかけて「ビーイングブーム」が音楽シーンに大きな影響を与えたことはネットを検索すればすぐに手に入る情報だ。しかし、ビーイングで制作された音楽にはどのような傾向があり、なぜ90年代に大ヒットを連発できたのかについてはあまり語られていない。その理由はなんなのか。
ビーイングブームの絶頂期は93年。3月から7月まで18週間連続でビーイング系のアーティストがシングルチャート1位を占め、6月28日付のチャートでは1位から6位を独占するなど無双状態だった。
ここで比較したいのは、長戸と並び90年代を代表するプロデューサーのひとり、小室哲哉だ。小室もまた96年4月に「プロデュースしたアーティストが1位から5位を独占」という快挙を達成している。
ビーイングと小室プロデュースの共通点は「カラオケブームの時代」のヒット、テレビ番組やCMの「タイアップ」がついて「聴く気がない人の耳にも入ってくる」「聴かされる」状況から流行したこと、「CMが流れる15秒の間に心をつかむ」手法などがあげられる。異なる点はプロデューサーとアーティストが表に「出るか・出ないか」というところにある。
長戸はとにかく表に出ず、自らがプロデュースした音楽について語ることもなかった。同じようにビーイング系アーティストはテレビの露出は最小限で、謎めいた雰囲気を保ち続けていた。
ビーイングと真逆の戦略をとった小室哲哉
それに比べ小室および小室ファミリーは、とにかく表に出た。プロデューサーの小室自身が前に出て語り、アーティストも歌番組に積極的に出演。キャラクターも含めて受け入れられた。さらに小室は、プロデュースしたアーティストとともにプロモーションはもちろんCMにも出演した。
他にも異なる点として、制作面の違いがあげられる。ビーイングは坂井泉水(ZARD)が自ら歌詞を書き、織田哲郎、栗林誠一郎などのメロディメーカーが作曲、明石昌夫、葉山たけしが編曲を手掛けるなど様々なクリエイターが音楽制作に関わったが、小室はほとんどの楽曲の作詞・作曲・編曲をひとりでこなしている。
ビーイングが「音楽制作会社」の匂いのする作り方なのに対し、小室は自らのプロデュースを前面に押し出した。ビーイングブームの真裏を行くやり方で成功を手繰り寄せたと言える。
閑話休題。ビーイングの正体について書こうとしていたにもかかわらず、小室の話になってしまった。小室ファミリーが音楽および音楽以外の話題を振りまいたのに対し、ビーイング勢は真逆。制作にクリエイターが複数人関わっているからか「小室の手クセが……」「また同じような曲が……」というような指摘をされることも少なかった。「洋楽のあの曲にソックリ」といった批判的な声もないわけではなかったが、勝てば官軍、そして沈黙は金。自らの主張をしないことで「勝ち」を拾い続けた印象だ。
象徴的な記事がある。ビーイングブーム絶頂期の93年、「ただいまB-SOUND中毒者大急増中!*1」というタイトルの特集が音楽情報誌に掲載されていた。「B-SOUND」には「ボーダーレス・サウンド」というルビがふられている。
ページを開けば取り上げられているアーティストはB'z、T-BOLAN、WANDS、大黒摩季、ZARD、DEEN、さらにB.B.クィーンズ。クリエイターとして前述の織田哲郎、明石昌夫や葉山たけしの名も出てくる。なんてことはない、完全に「ビーイング特集」なのだ。
にもかかわらず徹底して「ビーイング」の名は使われていない。あくまでも「ロックとポップスの融合体」として、ジャンルのボーダーを超えた音楽とその制作者たちとして紹介されている。なぜ「ボーダーレス・サウンド」とぼかされているのかは不明だが、「大流行していながらもミステリアス」というビーイングならではの雰囲気は醸し出されている。
この特集では、ボーダーレス・サウンドの特徴として「オーケストラヒット的音色を効果的に使うのも特徴的」「クリアートーンでの16ビート・カッティングとディストーションでのソロとオブリガートというギターの組み合わせも、かなり高い比率で登場」「太くワイルドな声質で熱唱型ボーカリスト」「日本語を日本語らしく歌う」「カッチョイイ音にハッキリとした歌メロ」があげられている*2。
それぞれ的確にとらえているが、その特徴がチャート上位を独占している理由は伝えきれていない。80年代の音楽と異なる革新性や、世界に通用するような先進性が示されてはいないのだ。

