小見出し 引導を渡した「真犯人」は?
小室ブームが弱まった97年、ライバルたちの動きを見てみよう。小室元年の94年にブレイクしたMr.Childrenは97年の3月から活動休止、L'Arc~en~Cielも97 年には活動休止期間があった。
LUNA SEAもこの年、メンバー5人がソロ活動を展開していた。DREAMS COME TRUEはエピック・ソニー(現・エピックレコードジャパン)からヴァージン・レコード・アメリカに移籍し、アメリカ進出を視野に入れた活動に入ったため日本のチャートに影響するような活動はしていない。GLAYやSPEEDがブレイクし、紅白歌合戦にも初出場したが「小室ブームに引導を渡した」といった印象はない。
このように考えていくと、小室ブームを終わらせた原因となる存在は「外」にはいない。実は内側、小室ファミリーの中にいた。小室ファミリーのブームを最大化した上で、自らは休止期間に入った人物。そう、安室奈美恵だ。
安室は97年2月、小室プロデュースの楽曲で最大の売り上げを記録したシングル『CAN YOU CELEBRATE?』を発売。日本レコード大賞を2年連続で受賞した(前年は『Don't wanna cry』)。
結婚・妊娠を発表したのは10月のこと。1年間の休業に入った。安室や華原とともに小室ファミリーの中心にいたglobeは、1月発売のシングル『FACE』が1位を獲得したものの、その後4作連続で1位をとり逃している。
前述のとおり、小室プロデュース最後のミリオンシングルとなった『Hate tell a lie』が発売されたのが4月。すでに凋落傾向にあった小室ブームにとどめを刺したのが、安室奈美恵の休業宣言だ。
小室ファミリーに途中参加し、躍進させ、最大のヒットを飛ばした人物だからこそ「替え」がきかなかった。新人をデビューさせることはできても、安室のように「歌唱とダンスの技術を持ち、自らのやりたい音楽を主張し、ファッションやスタイルも憧れられるカリスマ的な存在」は、作りたくても作れるものではない。安室自身もデビュー直後からそのポジションについたわけではなく、数年間の下積み期間があった。
熟成期間を経た安室がファミリーに加わったことで想定以上のブームとなり、円熟の安室が抜けることで想定外の失速となったというのが、「小室ブーム終焉」の真実ではないだろうか。
*1 「オリコンウィーク The Ichiban」1995年7月17日号、オリコン
文/ミラッキ サムネイル写真/Shutterstock
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【掲載楽曲一部】
笑顔の行方/サマータイム ブルース/もう恋なんてしない/君がいない/あなただけ見つめてる/恋人たちのクリスマス/ズルい女/涙がキラリ☆/GOING GOING HOME/はだかの王様/SWEET 19 BLUES/MajiでKoiする5秒前/Time goes by/SOUL LOVE/Automatic/本能 ほか、全50曲

