
The darkest hour is just before the dawn.(夜明け前が一番暗い)――映画「夜明けのすべて」は、生きづらさという真っ暗な夜と、まさに日が昇る瞬間のような柔らかい微かな光を感じる、そんな映画だ。特にドラマチックな展開があるわけでも、派手なぶつかり合いがあるわけでもない。ただ、呼吸がしづらいような内側に広がる痛みと、だけどそれを静かに優しく包み込むような温かさ。そんな物語が、地に足のついた現実の延長線上で紡がれていく。
■PMSの藤沢さん×パニック障害の山添くんらの優しい支え合い
本作は、瀬尾まいこの同名小説を映画「きみの鳥はうたえる」(2018年)などの三宅唱監督が映画化した人間ドラマ。それぞれに生きづらさを抱えた男女が出会い、相手を少しずつ理解していく中で、互いに支え合える関係を築いていく姿を優しく繊細に描く。
PMS(月経前症候群)のせいで月に1度イライラを抑えられなくなる藤沢さん(上白石萌音)は、転職してきたばかりなのにやる気がなさそうに見える会社の同僚・山添くん(松村北斗)のある行動がきっかけで怒りを爆発させてしまう。だが、そんな彼もまた、パニック障害を抱え生きがいも気力も失っていた。優しい職場の人たちに支えられながら過ごしていくうちに、2人には恋人でも友達でもない同志のような特別な感情が芽生えはじめる。目に見えない痛みを名称(形)がない関係性で補い合う2人の変化を、登場人物たちとともに観察するような視点で追っていく。
そんな本作が、三宅監督の最新作である映画「旅と日々」の11月7日(金)の公開を記念して、10月、11月の2カ月にわたって日本映画専門チャンネルで放送される特集内で、10月27日(月)夜8:00よりオンエアされる。10月はそのほか映画「ケイコ 目を澄ませて」(2022年)などの三宅監督作品、11月にはテレビ初放送で未ソフト化の映画「すべて、至るところにある」(2024年)など三宅監督が「旅の(ような)映画」をテーマにセレクトした作品が登場。11月作品の本編前後には三宅監督がセレクトした作品と「旅と日々」について語る特別番組もあわせて放送される。
■自分らしさの不明瞭さと他人からの評価で生きる自分
「私は周りにどういう人間だと思われたいのだろうか」とあくまで他人の評価を気にする藤沢さんは、PMS以外のときは控えめで常に周囲に気を遣っている、そんな女性だ。だからこそ、PMSでイライラが爆発したときの彼女の破壊力は凄まじく、新入社員として入社した会社では2カ月で問題を起こしてしまう。その際に上司からは「なんか、藤沢さんらしくないね」と言われるのだが、一体“藤沢さんらしい”とは何なのだろうか。
一方で山添くんは、あまり人の感情を気にしない男性だ。だからこそ、同僚からの差し入れをはっきりと「いや、いりません」と断れるし、会社のドキュメンタリーを作りにきた先輩社員の息子を含む放送部の学生たちにもまともに挨拶すらしない。会社全体が協力ムードでも山添くんにとっては関係のないこととはっきりと線引きをする。だが、彼もまたプライドの高さがあるため、無意識のうちに他人と自分を比較して生きているように思える。
■目に見えない生きづらさと分からないことへの恐怖
PMSとパニック障害、どちらも目には見えないが確かに存在する“生きづらさ”。PMSの藤沢さんは冒頭で「自分のことがよく分からない。自分の体のはずなのに思い通りに動かないし、どう頑張っても自分の心すらコントロールできない」と途方に暮れ、パニック障害の山添くんも「自分の体や気持ちなのに、自分ではどうしようもできないことが多過ぎる」ともがきを吐露する。どちらも“DON’T”ではなく“CAN’T”なのだ。
そしてそれは、見えないからこそ厄介で、たとえ薬を飲んでもヨガをやってもいつ治るかは分からない。完治どころか、よくなっているのかさえ分からない。“分からない”ことほど不安で恐怖を煽るものはないはずだ。
■松村北斗や上白石萌音らの繊細でリアルな芝居によって完成される世界観
そんな自分のことなのに自分ではどうにもできない“CAN’T”の苦しさと目に見えないからこその他者には理解されない、まるで自分が異常者かのような孤独さを、松村と上白石が些細な表情の変化や眉間のしわ、目の虚さ、下向きな姿勢、独特な間などでリアルに表現している。
たとえば、上白石の通常時とPMSの症状が出たときの差。まるでスイッチをオン・オフにしているかのように、たとえ何も言葉を発しなくても、その全身から発せられる気の弱そうな雰囲気・噛み付くようなとげとげしい雰囲気から察することができる。
松村もまた喋り方が特徴的で、他人には興味がない淡々とした口調だが、プライドの高さと人付き合いの苦手さがうかがえる少し強くて早い言葉の紡ぎ方。そして、表面的にはきっちりと壁を作っているが、だからこそその奥にある脆さもふとした表情から垣間見える。
繊細な内面の揺れを扱う本作だからこそ、芝居が大き過ぎても小さ過ぎても観客には伝わらない。上白石と松村は、その絶妙なラインを常に保ったまま表現している。いや、藤沢さんと山添くんとして確かに“生きている”のだ。そして、それは彼らだけでなく、彼らを適度な距離感で優しく温かく見守る、すべての登場人物たちもまた然りだ。
彼ら全員が同じ世界でしっかりと息をしないと、この現実と地続きの派手さがない物語は、映画としては成立しない。一人でも違う芝居をしたらこの世界観自体が浮いてしまう。だからこそ、ある意味では最も難度が高く、繊細な芝居とも言える。そんな役者たちが揃い、三宅監督が丁寧に光や温度感、ゆったりとした時間の流れを映像で表現したからこそ、現実を生きる多くの人々の心に刺さり、その内側に穏やかな熱を宿すのだろう。
■歪な形の傷と孤独、そして“夜明けのすべて”が詰まった作品
前述した山添くんの終盤のモノローグだが、実は続きがある。「みんな遠くに行ってしまった。でも、本当にそうだろうか?」と、彼は穏やかに問うのだ。人は誰しも他人には見えない傷がある。自分自身をコントロールできずに自分を嫌う彼ら。だが、たとえ自分一人では光が見えなくても、その歪な形の傷が寄り添うようにカチッとハマることで、根本の解決事態の有無にかかわらず、夜明けはやって来るのだ。
そして、たとえ真っ暗闇の中で一人、孤独に震えていたとしても、夜空に輝く星のように“私”という存在自体が誰かの道標になっていることもある。“私”の視点から見たら真っ暗な夜でも、誰かの視点から見たら私自身が光ということもありえるのだ。
本作の中に出てくるパニック障害を抱える人が書いたブログの一文に「生きるのが辛い。でも死にたくない」という言葉がある。その生きづらい矛盾すらも、孤独で真っ暗に見える世界自体も、確かな温度で穏やかに包み込んでくれる…そんな“夜明けのすべて”が詰まったような作品だ。
構成・文=戸塚安友奈

