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「20位以内に入らなかったら即解散」ポケビ、猿岩石、モーニング娘。…90年代バラエティ番組が仕掛けた音楽企画の栄華と暴走

「20位以内に入らなかったら即解散」ポケビ、猿岩石、モーニング娘。…90年代バラエティ番組が仕掛けた音楽企画の栄華と暴走

電波少年/雷波少年の功罪

話を戻そう。私は『電波少年』から『ウリナリ‼』『みなさんのおかげでした』までの流れをリアルタイムで見ていた。テレビのバラエティ番組発のヒット曲で、中古ではなく定価でCDを購入したのはパッパラー河合がプロデュースをつとめたポケットビスケッツの『YELLOW YELLOW HAPPY』のみ。ファーストシングル『Rapturous Blue』はその後に購入したが、私と同じような人は多く、『YELLOW~』の発売後に順位を上げていた。

ポケビと同じ年に河合は『進め!電波少年』において『旅人よ ~The Longest Journey』を作りヒットさせているが、こちらには意外性を感じず、購入しなかった。テレビが生み出す「物語」にのみ込まれることはなく、「音楽としてかっこいいか、面白いか」という基準でCDを購入していた。

そんな中でテレビから生まれた「物語」も「音楽」も、どちらも心から面白いと思い、発売するやいなや購入していたCDもある。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)から誕生したユニット・GEISHA GIRLSのシングルとアルバムだ。

ダウンタウンの松本人志と浜田雅功が芸者のメイクと衣装で、坂本龍一が作った楽曲にのりラップをする……。この企画が生まれるきっかけとなったフリートークから、発売後のプロモーションまで、すべてのテレビ番組をチェックした。レコーディング中の出来事を綴った書籍も購入した。

自分のまわりでは当たり前のように聴かれていたGEISHA GIRLSだったが、この企画は大ヒットというよりは小ヒット。ファーストシングル『Grandma Is Still Alive』(94年)は最高順位15位、累積売上は25.8万枚、セカンドシングル『少年』(95年)の最高順位は35位で、累積売上は6.6万枚。ミリオンには遠く及ばない売り上げだった。

しかし、『少年』と同日発売のアルバム『THE GEISHA GIRLS SHOW~炎のおっさんアワー』は累積37万枚の売り上げで、発売2週目には1位も獲得している。私が選曲し、DJをつとめているラジオ番組『9の音粋』(BAYFM)において、このアルバムに収録されたコントを流したことがあるが、その際、Twitter(現・X)のタイムラインがピタッと動かなくなった。松尾芭蕉ならきっと一句ひねったと思われる静けさだった。ミリオン前後まで売れているかいないかの違いを思い知った夜だった。

テレビの企画によるヒットは「芸人」だけにとどまらなかった。ポケビが1位を獲得し、野猿がデビューした98年、電波少年の兄弟番組『雷波少年』(日本テレビ系)にて「雷波少年系ラストチャンス」という企画がはじまった。これは「3ヶ月の合宿の中で曲を作成。その曲がオリコン初登場20位以内に入らなければ即解散および音楽業界から足を洗う」というもの。20位というハードル、そして「解散」という重い言葉。いずれもポケビのセカンドシングルの企画を踏襲している。電波→ウリナリ→雷波の順で再びボールが戻ってきた形だ。

『雷波少年』ではさらに「音楽業界から足を洗う」というのが加わっている。この企画に挑戦したのは当時デビュー3年目で、ヒット曲が出ていなかったバンド・Something ELse。番組の中で曲作りの様子が伝えられ、同年12月にシングル『ラストチャンス』を発売。初登場2位、翌週には1位を記録する大ヒットとなった。

翌年の99年はBluem of Youthが挑戦。企画は過激化し「合宿」ではなく「シベリア鉄道でロシアを横断し、その間に1曲作る」「日本武道館で公演を行い、1万人の観客動員がなければ解散。音楽業界から足を洗う」というものになった。見事クリアし、発売したシングル『ラストツアー~約束の場所へ~』は初登場2位を記録している。

モーニング娘。が見せてくれた音楽の力

この企画は2000年、SHAZNAにも持ちかけられていた。解散に関して、人にゆだねることを絶対にしたくなかったSHAZNAはこの企画を拒否。これが火種となって活動休止という選択をした*1。

「雷波少年系ラストチャンス」について当時、私は強い嫌悪感を抱いていた。「番組出演者による番組内の企画」であれば楽しめるが、出演者ではないプロのミュージシャンをつかまえてきて、視聴者を煽り、オリコンチャートや動員数でその後の進退を決める。当時の番組の人気から勝算があったのだろう。

そして見事に両ユニットとも成功に終わった。それゆえ「どうだ、テレビの影響力はすごいだろう」「売り上げなんてものは、音楽なんてものは、テレビがコントロールできるのだ」「いろんな声があるかもしれないが、本人たちがこの企画を受けたのだから」という制作者側の顔が透けて見えた。

ドラマ、CM、アニメ、バラエティ番組など、タイアップがとれるかどうかで売り上げが変わる。90年代は実際、そういう時代だった。しかし、こんなに大っぴらに「テレビ>音楽家」という姿を見せることはないだろうと、19歳の私は憤っていた。

しかし、そんなモヤモヤした気持ちを晴らしてくれたグループがいた。『ASAYAN』(テレビ東京)から誕生したアイドルグループ・モーニング娘。だ。

『ASAYAN』は「夢のオーディションバラエティー。」として人気を博していた。2010年代、20年代もオーディション番組やリアリティ番組が人気だが、『ASAYAN』はそのさきがけとなった番組で、オーディションを受ける人たちの努力と汗と涙と苦悩など、毎週、めまぐるしい展開を見せることで人気を集めた。

モーニング娘。は『ASAYAN』内で行われたオーディションの落選者たちで結成された。番組にとってみれば「メインディッシュ」ではない「副産物」だった。しかし、企画を展開させるごとに注目を集め、活動2年目に発売したシングル『LOVEマシーン』(99年)のヒットでその人気は国民的なものとなる。

モーニング娘。の活動と並行して、さまざまなオーディションが番組内では行われていたが、視聴者はそれらの企画よりも「モーニング娘。の展開」を見るためにチャンネルをあわせた。もはやモーニング娘。は「『ASAYAN』なしにはやっていけない存在」ではなくなっていた。番組を凌駕する存在となったのだ。

「流行りの音楽は、むしろこちらが作ってるんだ」という番組制作者たちが小さく見える、痛快なブレイクだった。

*1 SHAZNA『ホームレスヴィジュアル系』ゴマブックス、2008年

文/ミラッキ

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