
アメリカのアイオワ大学の研究チームが、6羽のハトに対して8か月間・3万回におよぶ実験を行いました。
課題はいたってシンプル。
5つのボタンをどんな順番でつついても必ずエサがもらえるという、ハトにとっては”パラダイス”のような設定です。
論文著者のワッサーマン教授もこの環境を「何をやっても報酬がもらえる、至れり尽くせりの環境」と表現しています。
常識的に考えれば、ハトはすぐに「一番ラクな順番」を見つけて、そればかり繰り返すようになるはずです。
100年以上前に提唱された「効果の法則」――ご褒美がもらえる行動は繰り返され、他の選択肢は淘汰される――という、心理学の教科書の1ページ目に書かれている原理です。
ところが、ハトたちはこの「正解に落ち着く」ことを拒否し、あえて様々なパターンを試していました。
研究者たちは、このハトの振る舞いを「カオスの淵(edge of chaos)で反応している」と表現します。
いったいなぜ、ハトたちは自分にとって一番ラクにエサをもらえる道を選ばず、わざわざ違う順番を試し続けたのでしょうか?
研究内容の詳細は2026年4月6日に『Journal of Experimental Psychology: Animal Learning and Cognition』にて発表されました。
目次
- 120通り「全ての選択が正解」――ハトに与えられた「楽園」
- 「いつもの順番」に飽きて、わざと別を試すハトたち
- 効果の法則を超える「混沌の淵」という生存戦略
- 音楽も絵画も発明も――「恵まれた食料➔カオス➔創造性」の流れによるかもしれない
120通り「全ての選択が正解」――ハトに与えられた「楽園」

あなたも、こんな経験はないでしょうか?
通勤経路は決まっているのに、なぜか今日は違う道を試してみたくなる。コンビニでいつも買うパンがあるのに、たまには別の棚を覗いてしまう。
合理的に考えれば非効率なのに、”なぜか寄り道をしたくなる”――ハトたちも、まさに同じことをやっていました。
実験の舞台は、アイオワ大学心理学・脳科学科の実験室です。
6羽の成体ハトがそれぞれ別の防音室に入れられ、15インチのタッチスクリーンの前に配置されました。
画面には5つの色鮮やかな幾何学模様ボタンが円形に配置されています。
ルールはこうです。
5つのボタンをそれぞれ1回ずつつつけば、エサがもらえる。
順番は問いません。1→2→3→4→5でも、5→4→3→2→1でも、2→4→1→5→3でも構いません。
数学的に、5個のボタンをすべて1回ずつつつく順番は5の階乗(5×4×3×2×1)=120通り存在します。そのすべてがエサの対象です。
同じボタンを連打することはできませんが、重要なのは、どの順番を選んでも正解であり、もらえるエサの量は同じという設計です。
「このような恵まれた環境下で、鳥たちはどのような行動をとるだろうか?」――ワッサーマン教授の問いは、こうして始まりました。
次のページではいよいよ、ハトたちが見せた”常識破り”の行動を見ていきましょう。
「いつもの順番」に飽きて、わざと別を試すハトたち

ハトたちは確かに「お気に入りの順番」を持っていました。
6羽とも、120通りある手順のうちたった5つだけで、全試行の4分の1以上を占めるほど偏った好みを示したのです。
これは「効果の法則」そのものの現象で、従来の研究とも一致します。
問題はその先でした。
250日間の訓練期間中、ハトたちは120通りすべての順番を少なくとも1回は試していたのです。
もっと驚くべきは、「お気に入りの順番」の人気が時間とともに上がったり下がったりを繰り返したこと。
たとえばハト38Bは、訓練初期に「21543」という順番を猛烈に好みましたが、50セッションを過ぎるとその人気は急落。
最後の50セッションでは、上位5つの中で最も使われない順番になっていました。
ハト56Yに至っては、劇的でした。最初は「15243」が圧倒的に多かったのに、ある時期を境にピタッと使わなくなり、次に「52431」が台頭。
しかしそれも消え、今度は「51432」が主役に躍り出る――まるで気まぐれなアーティストが作風を変えていくような推移です。
ハト82Rと55Wに至っては、周期的に好みが循環していました。
「壊れていないなら直すな」(If it ain’t broke, don’t fix it)――英語圏のおなじみの格言です。
ハトたちは、この格言を堂々と無視していました。
「このような劇的な行動の不安定さは、効果の法則とは全く相容れないのです」と、50年以上ハトの認知研究を続けてきたワッサーマン教授は語っています。
効果の法則を超える「混沌の淵」という生存戦略

ここまでで分かってきたのは、ハトには”お気に入り”が存在すること、そしてハトは決してその”お気に入り”だけに固執しないことです。
しかし、なぜハトたちは確実にエサがもらえる行動を繰り返すだけでは満足しないのかは、十分には説明されていませんでした。
そこで研究チームが持ち出したのが、複雑性理論の第一人者スチュアート・カウフマンが提唱した「混沌の淵(edge of chaos)」という概念です。
これは、生物システムが進化のプロセスで自然と引き寄せられる状態を指します。
完全に秩序立ってもいないし、完全にカオスでもない。構造を保ちながら、適応と成長のために揺れ動ける絶妙なバランス地点のことです。
ハトたちの行動は、まさにこの「淵」に位置していたと研究者は考えています。
秩序側:好きな順番を持ち、それを頻繁に使う(=効果の法則)
混沌側:にもかかわらず、別の手順も常に試し続ける(=探索的性向)
この2つが1羽の中で同時に動いているのです。
ワッサーマン教授は「何かが、鳥たちの反応が完全に機械のようになるのを防いでいるのです」と言います。
つまり、ハトたちは”バグ”で違う順番を試していたのではなく、生き残りのために結果として柔軟性を保っていたと考えられるのです。
環境は変わる。エサの場所は変わる。
今日のラクな道が、明日も最適とは限らない。
ならば、いつもちょっとだけ違うことを試しておくほうが、長期的には安全――そんな”保険”のような機構が、脳に組み込まれているのかもしれません。
注目すべきなのは、この性質がハトだけのものではなさそうだという点です。
次のページでは、いよいよこの「混沌の淵」が、人間のどんな能力とつながっているのかを探っていきます。
音楽も絵画も発明も――「恵まれた食料➔カオス➔創造性」の流れによるかもしれない

今回の研究について研究共著者で大学院3年生のオデュッセウス・オア氏は、実に興味深い問いを投げかけています。
「楽器演奏、作曲、視覚芸術の制作といった、より複雑で革新的な行動にも、同様の適応的変異が関わっているのだろうか?」
つまり、モーツアルトが奏で、ピカソが描き、エジソンが発明した根本の力は、ハトが「今日はちょっと違う順番でつついてみよう」と思う心理と同じ生物学的ルーツを持っているのではないか――という仮説です。
もしこれが正しければ、衝撃的な帰結が導かれます。
私たちが「創造性」と呼んでいるものは、天才だけが持つ神秘的な才能ではなく、ハトですら持っている”機械化を拒む性質”の人間版にすぎないのかもしれないのです。
人間の歴史を紐解くと「農耕が始まり身分制度ができると、一部の豊かな人々の中から創造性を発揮させる人が出てくる」という話を聞いたことがあるでしょう。
もしかしたら「恵まれた環境➔カオス➔創造性」という連鎖が創造性を支えているのかもしれません。
もっとも現段階で、ハトの脳内で具体的にどのようなメカニズムがこの変動を生み出しているのか、そして個体差は何に由来するのか――これらはまだ解明されていません。
それでも芸術家が「同じ技法を繰り返すことに耐えられない」と言うとき、それは気取った芸術家論というより、生物学的にはハトと同じ混沌の淵に留まろうとする本能が発動している、という解釈には大きな魅力があります。
もしあなたが、毎日の通勤路でつい違う道を選んでしまったり、同じレシピをアレンジしないと気が済まなかったり、決まったルーチンに飽きが来たりするなら――それは単なる気まぐれではなく、あなたの脳が「混沌の淵」で最適化を続けているサインなのかもしれません。
元論文
Variability, stability, and the law of effect.
https://psycnet.apa.org/doi/10.1037/xan0000427
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

