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「老舗がふざけた商品を作るな」と批判も…日本初“激辛”の誕生秘話。東京の老舗店主が1970年代を振り返る

「老舗がふざけた商品を作るな」と批判も…日本初“激辛”の誕生秘話。東京の老舗店主が1970年代を振り返る

―[ヒット商品&サービス「はじまりの物語」]―

何事にも始まりはある。そしてそこには、今では想像もつかない状況や苦労も。例えば「激辛」という言葉。

今では、カレーやラーメンなど、あらゆる食べ物の激辛が人気を博し、「激辛コメント」や「激辛審査」などのように厳しさの強い様を表す場合にも用いられ、もはや一般語になったと言っていいだろう。

実は、その誕生の背景にあったのはある小学生のエピソードだった。

神田淡平
神田淡平

◆専門店店主の少年時代までさかのぼる

JR神田駅から徒歩2分、煎餅・あられの専門店「神田淡平」がある。「激辛」という言葉は70年代、ここで生まれた。5代目店主の鈴木敬さんが経緯を語る。

「小学生の頃、塾の先生に七味唐辛子のかかったせんべいをもらったんです。私が、辛さで涙目になっているのを、先生は笑いをこらえていました。悔しくてそのせんべいを一枚持って帰ったら、父(先代店主)が『もっと辛いのを作ってやれ!』と、七味唐辛子びっしりのせんべいを作ってくれました。それを塾に持って行ったら、先生も同級生も辛さに悶絶して大騒ぎでしたよ(笑)」

こうして鈴木敬少年の復讐は成功したわけだ。一方、先代は「面白い」と七味唐辛子のせんべいを商品化。これが神田界隈で人気を博した。

◆生地に練り込む挑戦がはじまった

まだこの時点では「激辛」という言葉は誕生していない。

「七味唐辛子のせんべいを食べた常連さんが、『年末の集まりでみんなに出したいから、もっと辛くしてください』とおっしゃったので、七味よりも辛い一味唐辛子をたっぷりまぶしたせんべいを作りました。その集まりも大いに盛り上がったそうです」

自分の子どもや常連からの依頼で作った辛いせんべいに手応えを感じた先代は、もっと突き詰めてみようと動き出す。

「せんべいの外側だけではなく、生地の中にもこれ以上入れられないくらいの一味唐辛子を混ぜ込んだせんべいを作ったんです。これに父が『激辛』という名前をつけて売り出したんです」

この「激辛せんべい」が完成したのが1971年頃のことだと鈴木さん。日本に、激辛ブームがやってくる10年以上前の出来事だ。


配信元: 日刊SPA!

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