◆紫衣事件──幕府の「無効」主張

露骨な「解釈改憲」に、紫衣を与えられた高僧の沢庵らが抗議しますが、幕府は島流しで応えます。ちなみに沢庵和尚、漬物の沢庵の語源とも言われる人ですが、幕府とも人脈がある高僧。でも、お構いなし。
◆譲位の意向も「秀忠の意向」で却下
一六二八年七月、ここで天皇は譲位の意向を幕府に伝えます。可哀そうに高仁親王は、一か月前に満二歳で夭折。和子さんは妊娠中でしたが、まだ男女どちらかはわかりません。天皇は女一宮(後の明正天皇)への譲位の意向を漏らしますが、家光が「相国様(秀忠)の意向で」と止めて沙汰やみです。九月、和子が産んだのは男の子でした。幕府は天皇の譲位を警戒して、生まれたばかりの皇子を智仁親王の猶子にしてしまいます。親王には息子がいるのに(野村玄「明正天皇論」(『京都産業大学論集』二九号)。ただ、幕府が神経質になりすぎで、この皇子は生後十日で亡くなってしまいました。
一六二九年五月、天皇は腫物治療を名目に、またもや譲位の意向を伝えます。これを秀忠は、何度も依頼を受けていた沢庵らの赦免も含めて、まとめて拒否。
それどころか九月、将軍家光の乳母である「おふく」が参内の意向を示します。これは秀忠の意向だったようで(『国史大辞典』「春日局」の項)。何を考えたか知りませんが、天皇の様子を探らせようとしたようです。しかし、一介の武家の娘が天皇に拝謁を賜るなど、許されません。そこで遠縁の三条西実条(さんじょうにしさねえだ)の猶妹となり、「これで形式は整っただろう」と言わんばかりの態度。実条のお父さんが亡くなっていて養子になれないので、養妹。ここに、天皇の怒りは頂点に達します。

