◆「春日局」の称号は皇室の嫌がらせか
参内に先立ち、おふくは「春日局」の称号を賜ります。室町幕府三代将軍、足利義満の側室と同じ名号(称号みたいなもの)です。建前は「室町の先例」とされました(久保貴子『徳川和子』七九頁)。これ、私は、絶対に嫌がらせだと思います。義満と言えば、皇室乗っ取りを図り、肉薄した大逆賊です。側室春日局が産んだ義嗣を天皇にしようとしたと考えられています。少なくとも、義嗣は非業の最期を遂げている、決して吉例とは言えない名号です。朝廷のかろうじての、しかし怒りと呪いを込めての逆襲と考えるのが自然でしょう。それをヌケヌケと「室町の三代目もそうだったから」と言うのが、皇室の奥義です。ついでに都合が良いことに、義満の乳母の名も春日局でした。
天皇は後年に「武家の娘が公家の娘だなどと言い張って自分に会いに来たなんて話、聞いたことが無い」と『当時年中行事』に書き残していますが、よほど不愉快だったのでしょう。
ちなみに『当時年中行事』は、朝儀が絶えていることを嘆いた後水尾天皇が、朝儀再興の為に書き留めた、儀式の作法などのマニュアル集です。天皇は、記録収集と整理、研究も進めました。
さて延々、秀忠に一方的にコケにされ続けた天皇、遂に逆襲に転じます。
◆なぜ譲位が幕府への抗議になるのか
教科書的な教え方です。<通説>
紫衣事件など幕府の干渉に怒った後水尾天皇は、抗議の意思を示すために娘の明正天皇に譲位した。
その通りですが、初めて江戸時代の歴史を習った人が、これだけで分かるはずがありません。しかし、日本の学校教育では、これを丸暗記させられて、受験で答えれば正解です。何の意味があるのか。
そこで、「嘘だらけ~」シリーズの出番です。
かつて後深草上皇は、弟の亀山天皇の系統ばかり優遇する鎌倉幕府に対して、「太上天皇の尊号を返上、出家するぞ」と脅したことがあります。たとえるなら「抗議の自殺」みたいなものです。それをやられると、幕府の側も「天皇を虐め倒した」と評判が悪くなります。事実「上皇は何の罪も無いのに可哀そう」の声が広がり、鎌倉幕府は慌てて上皇を宥めました。
室町時代の後土御門天皇も、明応の政変で自分が任命した将軍の足利義材(よしき)を放逐した細川政元への抗議の意味で譲位しようとしたことがありました。「やってらんねえ」って。ただし、譲位をしようにも金がなく、結局は政元を頼らねばならないので断念しました。
後水尾天皇が何度も譲位を試みたのも、同じです。後土御門天皇は生涯五度にわたり譲位を阻止されましたが、後水尾天皇も既に似たようなもの。だから、何年も緻密に計画を立てていました。

