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譲位で挑んだ天皇の逆襲。なぜ女帝誕生は徳川秀忠の計画を挫いたのか

譲位で挑んだ天皇の逆襲。なぜ女帝誕生は徳川秀忠の計画を挫いたのか

◆幕府を出し抜く電光石火の譲位劇

 一六二九(寛永六)年十月二十九日、女一宮に内親王を宣下します。名前は、興子(おきこ)。これが譲位への第一歩です。一部の側近だけで進め、厳戒態勢の秘密保持。朝廷を監視する役割の京都所司代ら、幕府はまったく動きを摑めませんでした。

 そして間髪いれず、十一月八日に譲位をしました。奈良時代末期の称徳天皇以来、八五九年ぶりの女帝の登場です。

 奇襲効果は抜群。多くの噂が流れ、大名の細川忠興が「紫衣事件や側室との子供を次々と殺されたのが原因だろうけど」と書き留めています。

 朝廷も幕府もお互いに情報が無く、相手の出方を窺うばかり。十二月二十六日、大御所秀忠の意向は「叡慮次第(えいりょしだい)」です。言ってしまえば、「勝手にしろ」。

 まだまだ不気味な沈黙が続きます。その間も朝廷と幕府の監視機関である京都所司代の間では、駆け引きが続いていましたが、下っ端にできるのは情報を探るだけ。しかし、お互いに何を考えているのか、摑めません。

◆昭和天皇に通じる後水尾天皇の幕府への奇襲

 この時、後水尾天皇が不幸を逆用したのは、和子が産んだ男の子が二人とも夭折していたことです。天皇、一時は高仁親王に譲位しようとしましたが、幕府に阻止されていました。それが結果的に幕府の首を絞めました。

 この時点で古代に六人の女帝がいます。全員が未亡人か生涯独身です。興子さん、生涯独身を運命づけられました。かくして、秀忠は「孫を天皇にする」との野望を打ち砕かれました。だから、抗議になるのです。ただし後水尾上皇が最初から狙った訳ではなく、(不幸な)偶然を利用した面もありますが。韓流ドラマだと「実の子を殺してでも徳川の望みを断つ!」みたいなストーリーにするでしょうが、さすがに証拠がありません。

 後水尾天皇の幕府への奇襲、昭和天皇が陸軍を出し抜いて戦争をやめさせたやり方に似ています。相手は武力を持っています。自分を蔑ろにする。しかし、間合いさえ間違えなければ、自分に決定的な危害を加えられません。だから何年も前から準備して、相手に心の隙ができた瞬間に、一気呵成(いっきかせい)に事を為す。昭和天皇が具体的に何をしたかは、小著『救国の君主』で。

 後水尾天皇の奥義、昭和天皇は間違いなく学んでいたと想像します。

噓だらけの日本近世史
『噓だらけの日本近世史』


【倉山 満】
皇室史家。憲政史研究家。1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『噓だらけの日本近世史』が2月28日より発売
配信元: 日刊SPA!

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