◆Microsoftが静かに始めたこと
Microsoftが同社51年の歴史で初めて、社員に対して早期退職プログラムを提示しました。対象は米国従業員の約7%、約8750人。年齢と勤続年数の合計が70以上の社員に、自発的な退職を促す内容です。これに先立ち、Microsoftは2025年だけで約1万5000人を解雇し、2026年3月にはAI部門以外の採用を凍結しています。一方でMicrosoftの直近の四半期売上は813億ドル。AIインフラへの年間投資は800億ドルを超えています。つまり赤字で困っているわけではまったくなく、十分な利益を上げながら、それでも人員を削っているのです。
テクノロジー専門メディアThe Next Webはこう評しました。「自発的退職プログラムは大量解雇より穏やかな手段に見えるが、同じ戦略的目的を果たす。Microsoftが十分に利益を上げていることを考えると、削減は『必要性』ではなく『選択』だ」と。
ここで立ち止まって考えてみてください。業績好調な会社が、なぜ「切らなくてもいい人員」を、あえて切るのでしょうか。
◆「なくてもいい仕事」という不都合な真実
ここからが本題です。AIウォッシングという言葉は、「企業がウソをついている」という批判で止まりがちです。でもぼくはもう一段深いところに問題があると思っています。問いを変えましょう。なぜ大企業には、「AIがなくても消せる仕事」がここまで積み上がっているのか。
イギリスの文化人類学者デヴィッド・グレーバーは著書『ブルシット・ジョブ』の中で、現代社会の多くの仕事は「客観的に見て存在する必要がない、あるいは有害ですらある」と論じました。これは過激な主張ですが、大企業の日常を少し観察すれば、肌感覚として頷ける部分があるはずです。
確認のための確認、会議の結果を共有する会議、誰も読まないレポートの作成……。これらは「必要だから」というより、「慣習があるから」「万が一のバッファとして」「組織の正当性を示すために」存在していることが少なくありません。
シアトルの職場でも、あるチームが解散したとき、残ったメンバーが「実はあのチームが何をしていたのか、よくわかっていなかった」と話していたことがあります。笑えない話ですが、これは珍しい光景ではありません。
経営者はそのことを、おそらく前から知っていました。でも「人を切る」ことには政治的コスト、社会的コスト、感情的コストが伴います。だから多くの場合、見て見ぬふりをしてきた。AIという「時代の必然」は、その決断を正当化する格好の言い訳になったのではないかと思います。
AIウォッシングは、企業が嘘をついているという話ではなく、「経営者が前からわかっていた不都合な真実を、やっと実行に移し始めた」という話かもしれません。

