病気が突きつけた「もう続けられない」という現実
転機は母Kさんが軽い脳梗塞で入院したことでした。幸い後遺症は残らなかったものの、生活を改善しないと再発リスクは高いといわれています。血圧は上が200に近づくこともあります。現在も170を下回ることはなく、絶対に無理はできません。もともと野菜嫌いの偏食だった母Kさんは、毎日苦手なはずのブロッコリーを食べるようになりました。
入院中は同じ病室に、重い脳卒中を患った同世代の女性がいました。全身が麻痺していて反応がほとんどなく、看護師に痰の吸引をしてもらい、いびきをかいて寝ていました。1ヵ月ほどで介護施設へと移っていきました。母Kさんはその光景にショックを受け、初めて自分の家計を冷静に見直しました。預金は残り700万円。息子夫婦からの無心が続けば、あと2年ほどで底を突きます。
「私が脳出血で倒れて介護になったら、お金はどうしたらいいのだろう」母Kさんは怖くなってしまいました。介護施設に入ることもできず、自宅での介護も無理となったら? 息子夫婦が頼りになるはずがありません。
退院後、しばらくしてから、母Kさんのもとにまた息子Rさんが、お金を貸してほしいとやってきました。長男の修学旅行の費用が足りないのだといいます。母Kさんは冷静に息子にいいました。
「ごめんね、もうお金はないの。自分の介護のお金も残さなきゃならなくて」
「孫のためでも無理なの?」と息子は驚いた様子。
「修学旅行のお金なら払ってあげたいけど、もう無理なの」
たかだか修学旅行の費用くらいは払えますが、その金はきっと息子夫婦の浪費に使われるだけではないかと疑念があります。息子は、「わかったよ」といい、すぐに帰っていきました。脳梗塞後の1ヵ月の入院中も見舞いに来たことはなく、その日も身体を気遣う言葉はありませんでした。無論、妻のUさんも同様です。
「あれほどお金を頼ってきたんだから、上っ面でも私を心配してみたらどう……」と息子夫婦に憤りを感じる母Kさんです。
援助を断った途端、潮が引くように離れていった
その日を境に、息子一家からの連絡は途絶えました。
以前は週に何度もあった「ばあば、今度遊びに来て」という孫からのLINE。それも、嫁が孫に書かせて送らせていたものだったと、あとになって気づきました。連絡をしてくるのは、決まってお金を無心する前だったのです。
孫の運動会にも、誕生日にも、声がかからなくなりました。修学旅行のお土産を持ってくるという話もありません。母Kさんから連絡しても既読スルーです。あれほど「ばあば、ばあば」とくっついてくれた5人の孫からの連絡はありません。
「結局、私はお財布だったのね」誰もいない部屋で母Kさんはそうつぶやきましたが、涙は出ませんでした。心のどこかで、ずっと前から気づいていたことだったからです。
それから半年が経ったころ、息子Rさんから久しぶりにLINEが届きました。
「6人目、生まれた。女の子」
たったそれだけでした。写真も、名前も、いつ生まれたのかも書かれていない。母Kさんが「おめでとう、会いにいってもいい?」と返信しても、既読がつくだけで返事はありませんでした。
初めての女の子の孫。男の子ばかりだった息子夫婦がどれほど喜んでいるのか、どんな顔をしているのか、なにもわかりません。かつてなら真っ先に駆けつけ、ベビー服を何着も買い揃えていたはずでした。
テーブルの上に置いたスマートフォンを、母Kさんはしばらく見つめていました。画面はもう暗くなっています。
「6人目にして待望の女の子だったのね」母Kさんはまたひとりでつぶやきました。
長岡理知
長岡FP事務所
代表
