◆過酷なノルマに追われた保険営業時代

月野:子どもがいても働きやすい環境っていう感じだったことが選んだ理由ですね。最初、事務職を募集していたので面接に行ったのですが、所長さんから「喋り方も丁寧だから営業に向いているんじゃない」って言ってもらって営業をすすめられたんです。これはキャバクラの経験が活きたのかもしれませんね。保険の外交員は3年ぐらい続きました。本当にもう大変でしたよ。とにかくノルマが厳しかった。給料も夜の仕事と比べると少なかったですし。子どももいましたので、実家にお世話になっていたとはいえ、家にはお金を入れていたので、自分で自由に使えるお金はほとんどない状態でした。
――営業だと、契約が取れないと収入にも影響しますよね。
月野:そうなんです。最低限の基本給があって、それに歩合が上乗せされる仕組みだったんですけど、私はずっと最低ラインに近い給料しか貰えていなくて。そんな生活を続ける中で、セクシー女優の業界に興味を持つようになりました。とはいえ、最初から作品に出演したわけではありません。最初は雑誌の仕事や深夜番組への出演など、本当に小さな仕事から始めていました。
――いろいろな職業がある中で、あえてこの業界を考えた理由は?
月野:とにかく自由に使えるお金が欲しかったんです。月に1万円でもいいから、自分のお小遣いが欲しいという気持ちがありました。水商売に戻ることも考えましたが、子どもを親に預けなければならないので夜の仕事は難しかった。それでキャバクラを探すために持っていた高収入のアルバイトの情報誌で、この業界の募集を見つけたんです。
――それまで、この仕事に興味はあったのですか?
月野:もともと、友人たちと男女で集まって飲んでいるときに話題が出ることもありました。「すごいな」と思った程度で、自分がやるとは考えていなかったんですけどね。でも実際に仕事を始めてみると、自分で仕事を選べるのが魅力だったんです。決まった時間に出勤する仕事ではなかったですし、融通が利いたんです。撮影自体も楽しかったですね。お芝居をする要素もありましたし。最初の頃は何が何だか分からないまま撮影が始まって、気がついたら終わっていたような感じでした。でも、それがかえって新鮮だったんです。やっぱり非日常じゃないですか。その世界に入ること自体がすごく刺激的でした。
◆50歳を目前に決意した最後の挑戦
――ただその後、業界からは一度引退をされるんですね。月野:その後、再婚をするのですが、そのときの夫に撮影した写真を見つかってしまったことがあったんです。「知り合いにプロのカメラマンがいて、若いうちに記念として撮ってもらったんだ」とごまかしました。その時の夫とは別れて、新しい彼氏ができたのですが、彼には最初から仕事について正直に打ち明けました。すると、「その仕事はやめてほしい」と言われたんです。私自身も彼との関係を大切にしたいという気持ちがあったので、それをきっかけに引退することにしました。
――ただ、長い休養期間を経て、50歳をめどにして今度は単体女優としてデビューされることになる。どういうきっかけだったのですか?
月野:その彼とは結婚はせず、同棲していましたが、やがて別れることになりました。それからかなりの時間が過ぎ、息子も一人暮らしをするようになって、自分のこれからの人生について考えるようになったんです。そんなとき、ふと「私、本当はセクシー女優をやっていた時は楽しかったんだよな」という思いが強くよみがえってきました。「今やらなかったら、いつやるんだろう」って、そう思ったんです。
人生最後のチャレンジをするなら今しかない、と。50歳を目前にして、そんなことを考えるようになっていました。そして、単体女優として再デビューすることになります。振り返ってみると、ずいぶん遠回りをしたかもしれません。そうして回り道をした末に、結局は自分が本当にやりたかった場所へたどり着いたのかな、という気がしています。

