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「生活費は月3万バーツ(約14万5000円)」タイに移住した41歳女性が語る現地生活のリアル

「生活費は月3万バーツ(約14万5000円)」タイに移住した41歳女性が語る現地生活のリアル

「今朝、シャワーを浴びてないというと雑菌扱いされる!?」そんな“タイあるある”から、現地の高校で見られる一風変わった習慣や学校行事まで。旅行者はもちろん、長年の在住者ですら「知らなかった」と驚くようなタイの文化や習慣を、漫画やイラスト、動画でSNS発信している日本人女性がいる。

タイ人に絶対言ってはいけないひとこと
タイ人に絶対言ってはいけないひとこと
プカちゃんのInstagram「タイ人に絶対言ってはいけないひとこと」
登録者数3万人以上のYouTubeチャンネル「プカちゃんの波乱珍丈タイ移住」を運営するプカちゃんだ。

プカちゃん
YouTube「プカちゃんの波乱珍丈タイ移住」を運営するプカちゃん
彼女は現在、プーケットで暮らしながら、高校の日本語教師としても働いている。

タイ移住を決めた経緯や20年間で見てきたタイ社会と日本人コミュニティーの変化、そして今なお感じるタイの魅力について話を聞いた。

◆家族旅行がきっかけでタイ留学を決意

プカちゃん
プカちゃん
岡山県出身で現在41歳のプカちゃん。タイに来るきっかけとなったのは、大学時代に家族と訪れた1週間のプーケット旅行だった。

「子供の頃から洋画が好きで、いつか海外に住みたいと考えていました。これまでもハワイやニュージーランドなど英語圏の国に旅行して、大学卒業後にはアメリカかカナダに語学留学を考えていました。でも、家族旅行で訪れたプーケットでタイにハマってしまい、帰国後にタイに住める方法を必死で模索していました」

そこで見つけたのが、プーケットの語学学校だ。英語圏出身のネイティブ講師から3カ月で10万円という破格の費用で英語を学べると知り、タイの語学学校に通うことを決めた。それから必死でアルバイトをして、留学資金としばらくタイで暮らせるほどの生活費を貯めた。突然、タイに行くと言い出したことに対して、周囲からの反応はどのようなものだったのか。

「周りからは『プカちゃんらしいね』と言われました。ちなみに旅行後に行われた短大の卒業式では、私だけタイの民族衣装を着て参加したんです(笑)。それぐらい早くタイに戻りたかったんだと思います」

不安はなかったのかと聞くと、「全然ありませんでした」と即答する。

「無計画でタイに来てしまったので、よく『何考えてたの?』と聞かれるんですが、何も考えていなかったから無計画で来られたんだと思います(笑)。貯金もいくらあったか覚えていませんが、少なかったのは確かです。もし失敗しても、おとなしく日本に帰って働いてお金を貯めて、またどこかの国へ行けばいいかと思っていました」

◆プーケットで就職後、偶然がきっかけで日本語講師に

プーケット
初めてタイに来たときに魅了されたというプーケット
子どもの頃から、いつかは海外に住みたいと思い続けていたというプカちゃん。それがタイになるとは思っていなかった、と笑う。プーケットを選んだ理由は「最初の旅行先だったから」というが、どんなところに魅力を感じたのか。

「トロピカルな雰囲気と、ゆったりした陽気な人々に魅了されました。観光地なので、ビーチ沿いでは毎晩お祭り騒ぎが繰り広げられていて、日本とのギャップがあまりにも大きく、一気にハマってしまいました。ゆる〜い雰囲気、屈託のない笑顔でご機嫌なタイの人、安くておいしい屋台料理。世界中から観光客が集まるので、友人とバーに行けばそこで出会った人たちと楽しく盛り上がったりして、来た当初は毎日が非日常で本当に楽しかったです」

プーケットの語学学校に入学したプカちゃん。初めは英語を学んでいたという。

「せっかくタイに来てるのだから、タイ語の勉強もしてみようと思ったんです。そしたら英語よりもハマってしまい、途中でタイ語コースに切り替えました。そこから7カ月間、勉強して気づいたら英語よりもタイ語のほうが話せるようになっていました(笑)」

語学学校を卒業後は、旅行会社提携の土産屋に就職。しかし、給料は思っていた以上に少なかった。

屋台メシ
苦労していたときから屋台メシにはよくお世話になっていた
「休みは週1日で、月給は1万5000バーツ(当時のレートで約4万6000円)。当時、日本人がタイで就労する際の給与相場は月3万バーツ程度とされていましたが、プーケットではそんな就職先はほとんどなく、1万5000バーツでも良いほうだと言われました。生活はかなりギリギリで家賃6000バーツ(1万8600円)のタウンハウスに住んでました。食事はご飯だけ炊いて、おかずは安い屋台料理。屋台にはかなりお世話になっていました(笑)」

結局、土産屋は3カ月で退社した。その後、高校で日本語教師として働くようになったのは、ある偶然がきっかけだった。

「タイ語を勉強したときに、独学で日本語教育も学んだんです。もともと人に教えることが好きだったこともあり、近所のタイ人の高校生にボランティアで日本語を教えていました。ある日、その生徒から『うちの学校の日本人の先生が帰国するから来ませんか?』と声をかけてもらったのがきっかけで、高校の日本語教師の仕事が決まりました」


配信元: 日刊SPA!

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