「補殺」「刺す」などの野球用語が見直しへ…賛否を呼んだ宮城県高野連の動きが“表面的な言葉狩り”だとは言い切れない理由

「補殺」「刺す」などの野球用語が見直しへ…賛否を呼んだ宮城県高野連の動きが“表面的な言葉狩り”だとは言い切れない理由

◆「補殺」「刺す」「犠牲打」などの野球用語が見直しへ

高校野球
写真はイメージです
 宮城県の高校野球連盟(高野連)が「補殺」や「刺す」、「犠牲打」といった野球用語を見直すための検討委員会を設置したというニュースが、大きな波紋を広げています。

 ネット上では批判の声が殺到しました。その多くは「あまりに過剰な言葉狩りだ」という意見です。なかには皮肉を交えて「この人たちはお刺身を食べたり、殺虫剤を使ったりもしないのだろうか」といった極端な反論まで飛び出しています。同時に、「言葉をいじる暇があるなら、夏の甲子園に向けた熱中症対策の効果を検証する方が先だ」という現実的な指摘や、「部活動内での体罰やいじめ、高圧的な指導といった根深い問題を解決する方が先ではないか」という、高校野球のガバナンスそのものへの厳しい意見も数多く見られます。

 しかしその一方で、野球の現場、特に少年野球の保護者などからは「指導者が子供たちに向かって『そこで刺せ!』『殺せ!』と叫んでいる現状に、ずっと違和感があった」という疑問の声が上がっているのも、紛れもない事実です。

 またプロ野球、中日ドラゴンズの井上一樹監督も同様の問題意識を持っていることが明らかになりました。6月24日のDeNAベイスターズとの試合後の会見で相手ランナーとのタッチプレーを振り返った際に、「ランナーを殺しにいかないといけないプレーだったかなと思います。殺せた…殺すって表現はよくないか」と語ったのです。

 このように、プロの野球人でさえ無意識に使い、しかも自ら言い直したという事実は、この問題が個人の資質や世代の問題ではないことを示していると言えるでしょう。

 だからこそ、今回の宮城高野連の動きは、コンプライアンスを意識しすぎた一部の大人たちによる「偏った思想の暴走」と言い切るわけにもいかないのです。

◆「表面的な言葉狩り」だとは言い切れない理由

 重要なのは、日常的に「殺」や「刺」という過激な言葉を繰り返し使うことで、それらの言葉が本来持っているはずの恐怖や重みに対して、子供たちの意識のハードルが下がってしまうという心理的なリスクです。グラウンドの中で「記号」としてカジュアルにこれらを利用しているうちに、攻撃的な言葉への心理的な抵抗感が薄れる可能性も否定できません。

 チームメート同士のSNSでのやり取りなどの日常のコミュニケーションにおいても、行動がその言葉の暴力性に引きずられてしまう可能性を過小評価すべきではないでしょう。少年たちが自分の肉体を使って叫ぶ言葉だからこそ、その影響力は大きいのです。

 その意味で、今回の高野連の動きは表面的な言葉狩りだとは言い切れません。むしろ、海外の先進的なスポーツ界の趨勢を汲んだ、極めて論理的なアップデートへの一歩だと言えます。

 その根拠として、世界のスポーツにおける過激な表現のアップデートは、何年も前から行われていることが挙げられます。

 例えば、「eスポーツ(対戦型ゲーム)」のケースです。世界中で大ヒットしている『PUBG MOBILE』というゲームのプロリーグ向け公式大会規約では、2023年の改定の際、スコアのカウント方法においてそれまでの「kill(殺害)」という単語から「elimination(排除・脱落)」へと明確に言い換えるアップデートが行われました。小中高生に圧倒的な人気を誇る『フォートナイト』でも、最初から「kill」という言葉は使われない仕様になっています。

 また、アメリカンフットボールの本場である米国でも、2001年の同時多発テロ(9・11)以降、スポーツメディアの放送ガイドラインにおいて大きな変化がありました。長距離パスを意味する「Bomb(爆弾)」や、クォーターバックを急襲する「Blitz(電撃戦)」といった戦争を連想させる比喩表現(ミリタリー・メタファー)の過剰な使用を自粛する約束が交わされ、現在は「ディープパス」などの客観的な競技用語への移行が進んでいます。

 もっとも、この二つの動機は同じではありません。eスポーツの場合は暴力表現そのものへのレーティング上の配慮であり、NFLの場合はテロという特定の歴史的記憶への配慮です。

 それでも、共通しているのはいずれも言葉が持つ暴力性が受け手の感覚を鈍らせ得るというリスクへの自覚なのです。


配信元: 日刊SPA!

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