駒澤大学野球部寮で「先輩の中畑清」と同室になった石毛宏典。授業を受けに行こうとしたら「お前、何考えてんだ」と叱責

駒澤大学野球部寮で「先輩の中畑清」と同室になった石毛宏典。授業を受けに行こうとしたら「お前、何考えてんだ」と叱責

◆中畑清と同部屋に。どんな様子だったのか

 駒澤では、先輩・中畑清氏の部屋子(1年生が先輩と同室になり、身の回りの世話をする)となった石毛。厳しくも愛のある指導を受けた。

「副キャプテンでレギュラーの中畑さんの部屋子には、ある程度優秀な1年生をつけなければいけなかったようで、特待生扱いだった自分が選ばれたんです。六畳一間の2人部屋でした。部屋長は部屋子に対して何らかの教育をするようなことになっていたと思いますが、中畑さんは何か教育してくれたかな?(笑)

 でも、『勉強なんか無理なんだから、バットを振っとけ!走っとけ!』とよく言われていたので、言いつけを守っていたら、大学2年と3年の時に日米大学野球の日本代表に選ばれたんです。それに関しては、中畑さんの意見に従っておいて正解だったなと思いますね(笑)」

 野球をやりながら教員免許を取得し、大学卒業後は母校の市立銚子で監督をすることも考えていたという。とある日に、学ラン姿で「授業を受けにキャンパスへ行ってきます」と石毛が言うと、その姿を見た中畑の声が寮部屋に響いた。

「『お前、何考えてんだ!無駄、無駄!学ランなんか脱いで、ジャージに着替えてバットを振っとけ!』と言われて。先輩は神様のような存在で、神様の言うことは絶対なので、『わかりました』と。それで、ジャージに着替えて素振りをしていました。将来、教員になるのは無理だなと悟った瞬間です」

◆退部が頭をよぎるも、思いとどまる

 毎年数多くの新入生が野球部の門をたたくも、あまりにも厳しい練習がゆえ、時間が経つごとに部員は減っていった。

「中学や高校の野球部も厳しかったですが、その比ではなかったです。練習は厳しいし、先輩からぶん殴られたり、説教をされたり……。辞めないほうがおかしいんじゃないかというくらいでしたから。50~60名いた部員が、5月の時点で30~40名に減り、夏場になると20名くらいになりました。夜逃げする部員もいたほどで、冷静な判断ができる人間ほど辞めていったんです。

 理不尽なことも多くて、『こんなのおかしくないか?』と思う時もありましたが、そんな時に頭に浮かんだのが家族や恩師だったんです。グレていた兄は更生して農家を継ぎ、駒澤への進学を後押ししてくれましたし、入学前の2月には野球部の寮への引っ越しを手伝ってくれました。千葉県旭市の実家から祖師谷寮(東京都世田谷区上祖師谷)まで軽トラックに荷物を積んで、必死に地図を見ながら運転して送ってくれたんです。

 市立銚子の矢部監督も、『頑張って来いよ!』と激励して送り出してくれました。兄や矢部監督の顔をつぶせないよな。辞めて帰るわけにはいかないよな、という気持ちが自分の支えでした」


配信元: 日刊SPA!

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