◆駒沢野球部の経験がプロで結果を残す下地に
駒澤で受けた名将・太田監督の指導は、野球人・石毛の精神面での基礎を形成するうえで、重要な要素となった。「大学時代を含め、中学でも高校でもさまざまな指導を受けましたが、技術的な指導が何だったかを思い出せないんです。我々のような昔のプロ野球選手は、いまのようにプレーや身体を解析するようなデータが充実していたわけでもないですし、ほとんど自分のやりたいようにやっていたと思うのですが、案外効率はよかったような気がします。
間違いなく言えるのは、精神的にタフになれたということ。寮生活にしろ、下級生時代の先輩からの説教やしごきなどを耐え抜いたわけですし、練習量も多く、体も鍛えられましたから。もともと運動神経や身体能力がそこそこあったうえで、そういった心身両面でハードな日々を経たことがプロで結果を残す下地になったと思います。
太田監督の指導は“人間教育”。『生活リズムはちゃんとしなさい』『一野球選手の前に一学生であれ』みたいな。その一学生を目指して授業を受けようとしたら、中畑さんに止められたんですけどね(笑)」
◆高校の卒業式に出席させてもらえず
当時の大学の野球部はどこも非常に厳しかったが、駒澤大学は群を抜いていたという。「『駒澤と亜細亜には行くな』と言われていたくらいですから(笑)。東洋や専修も厳しかったかな。国士舘なんかもかなり厳しかったですし。中央は少し緩めだったかも……。とにかく、どこの大学の野球部も厳しい時代でしたね。
2月に祖師谷寮に入り、高校の卒業式が近づいていた頃だったと記憶しているのですが、駒澤の学生コーチ(学生でありながら指導者としてチームを支える部員)に、『高校の卒業式に出てもいいですか?』と言ったら、『あ?卒業式に出るのと、ユニフォームを着てベンチにいるのと、どっちがいいんだ?』と言われ……やはり先輩は神様なので『ベンチに入った方がいいです』と答えたんです。『卒業式は出なくていいだろう』と言われ、『わかりました』と。そんなやりとりがあったことも思い出しました。
大学の入学式の時も、『今日は入学式なんですけど』と言ったら『いいから練習しとけ』と。成人式の時も『そんなものは必要ない』と言われましたから(笑)。同級生たちはオシャレして成人式に出席したりしている一方で、くりくりの坊主頭で野球だけをやっていましたね。
当然、プロ野球を見る時間なんてありません。高校までは実家にいましたが、11人の大家族でしたし、テレビも1台しかない。一番権力があるのは曽祖父なので、自分が見たい番組はほとんど見られませんでした。たまに夜遅くにテレビをつけると『夜遅くまでテレビ見ていたら、目を悪くするぞ!』なんて言われたりもして。
唯一見ていたのは、アニメ番組の『巨人の星』です。当時はほかにも、『侍ジャイアンツ』や『ミラクルA(エース)』とか野球漫画が多かった。だから、子どもたちはみんな野球をやっていたんです。ただ、中学時代には『野球以外のスポーツもやらないといけないぞ』なんて先生から言われたりして、球技大会でバレーボールなんかをする時は張り切ってやっていましたよ。バレーボール部の監督から『石毛、上手いな。バレー部へ入らないか?』とスカウトされたりもしましたね」

