◆いつの間にかプリンスホテルが進路に
時を同じくして創設(1979年)されたのが、社会人野球チームのプリンスホテル硬式野球部。数々のスポーツチームを創設・支援していた西武鉄道グループの元オーナー・堤義明氏が立ち上げた。当時、野球はオリンピックの正式競技を目指していたが、そうした機運を盛り上げていく意味もあったと言われている。「プリンスホテルの野球部ができたことは大きな話題になっていましたし、自分が社会人野球へ進みたいと話をした時、太田監督から『新しくできたプリンスホテルに行くんじゃないだろうな?』とも聞かれました。太田監督は駒澤のOBが監督を務めている社会人野球チームに行かせたかったようで、自分も『それでいいですよ』って言っていたんです。
でも、11月になっても進路が決まる気配がない。どうしたんだろうなと思っていた矢先に太田監督に呼ばれ、『プリンスホテルへ行け』と言われたんです。『え?プリンスホテルでいいんですか?』と聞いたら、『行け』と。その後、太田監督が運転する車で千葉県旭市にある実家まで行くことになり、太田監督が『(息子さんを)プリンスホテルへ行かせますから』と両親に話していました。
ただ、なぜ太田監督の考えが変わったのかは今でもわかりません。理由はともかく、太田監督に言われたら従う以外の選択肢はないですから(笑)」
◆あのカストロが観戦に来ていた
プリンスホテルの1期生には、各大学から有力選手が集まった。石毛をはじめ、後にプロで活躍した中尾(元中日など)や住友一哉(元近鉄など)、金森栄治(元西武など)、堀場秀孝(元広島など)らが在籍し、注目を集めていた。「あれだけのメンバーがいても、1年目の都市対抗野球大会は出場できなかったんです。ただ、実力のある選手が多かったので、それ以外の大会では勝っていくわけです。個々もそれなりの数字を残し、私や中尾はキューバで行われた『インターコンチネンタルカップ』の全日本代表に選ばれました。
キューバへ遠征した時は、街中に多く残っていた弾痕が印象的だった一方で、野球熱の高さにも驚かされました。キューバにとって、野球は国技みたいなものじゃないですか。毎試合プレイボールは夜8時で、仕事を終えた多くの人たちが首都のハバナにある球場にやって来るんです。7時くらいには球場に着いていて、ワイワイ盛り上がっていましたし、最高指導者のフィデル・カストロも観戦に訪れていましたね」

