◆チームリーダーとして常勝軍団を牽引
広岡の西武監督就任1年目は見事に前期優勝(1982年のパ・リーグは前後期制)を果たし、プレーオフでも後期優勝の日本ハムファイターズに勝利。中日ドラゴンズと相まみえた日本シリーズでも勝利し、西武ライオンズとして初の日本一に輝いた。以降、広岡の指導と石毛の歩みとともに、西武の黄金期が形づくられていく。「自分がプロ2年目の時にリーグ優勝を経験することができ、日本一にもなれました。3年目(1983年)からパ・リーグは前後期制が廃止され、1シーズン制度へ移行しましたが、その年も優勝し、日本シリーズでは巨人に4勝3敗で勝ちました。4年目(1984年)は阪急が優勝しましたが、5年目(1985年)は再び優勝できました。阪神との日本シリーズでは敗れてしまったんですけどね」
1986年から指揮を執った森祇晶監督のもとでは、9年間で8度の優勝(6度の日本一)を果たし、石毛自身は計11度の優勝(8度の日本一)を達成している。石毛が西武に在籍した期間が、そのまま西武の黄金期に当てはまる。単に在籍していたわけではない。常に主力として、攻守の要として、そしてチームリーダーとして常勝軍団を牽引した。
「恵まれた野球人生ですよね。オールスターゲームに14年連続で出場させてもらうこともできましたし。自分の成績が悪いシーズンもあったのですが、ファンの方々に『ショートは石毛だろう』みたいな感じで思っていただいていたのかもしれませんしね。本当にありがたいことです」
◆ショートのレギュラーゆえ、リーダー扱いされた?
清原和博や工藤公康など、実力と個性を兼ね備えた選手が多いチームを、どのように束ねていったのか。理想のチームリーダー像を聞くと、意外な答えが返ってきた。「特にないですね。自分が30歳を過ぎた頃、世間に“チームリーダー”という言葉が浸透し始めていたんです。当時の例を挙げると、“政界のニューリーダー”などもそれに当たると思いますが。そういった風潮のなか、新聞をはじめとしたメディアで『常勝軍団・西武のチームリーダーは石毛』みたいな言い回しが出るようになったんです。
ただ、プロはアマチュアではないですし、部活動ではありません。個人事業主の集団ですから、『チームリーダーやキャプテンと呼ばれるのっておかしくないか?』とは常々思っていましたが、世間からは『なんだかんだで、石毛がまとめているよね』みたいな印象を持たれていたのかもしれません。
自分が西武に入団した頃にチームをまとめていた田淵さん、山崎さんらベテランの野手の方々が引退され、ベテランで残っているのは東尾さんだけになりました。東尾さんはピッチャーなので、ピッチャー陣はまとめていましたが、野手の年長者がいなくなってしまったんです。自分はちょうどその頃にレギュラーとして試合に出続けていましたし、ましてや、内野の要のショートというポジションにいたこともあり、チームリーダーという見方をされていったのかもしれません」

