◆「元暴走族」という経歴にドン引きする宇梶剛士
序盤から知り合いに会いまくる鬼塚。しょんぼり歩いていたらかつての教え子・渡辺マサル(山崎裕太)が運転するトラックに轢かれそうになるし(『101回目のプロポーズ』のオマージュ?)、新たに赴任した高校ではかつての天敵である中丸浩司教頭(近藤芳正)とも再会。反町隆史ですらイケオジにシフトチェンジしたのに、およそ30年まったく顔が変わらない近藤芳正が驚異的だ。そんな中丸教頭が「こいつは元暴走族なんですよ!」と告げ口した途端、同校校長を演じる宇梶剛士が「えっ!? そうなんですか……?」とドン引きした場面には笑った。まごうことなきホンモノ、ブラックエンペラー元総長の宇梶が鬼塚の経歴を知り「うーむ」という顔をしているおまゆう。同族嫌悪か?
もしかしたらこの校長も元ヤン設定で、鬼塚がピンチに陥ったときは「実は、俺も昔は……」と救いの手を差し伸べるのかも。そんな流れが見られたら、おもしろい。
◆今どきの高校生を描く解像度の低さに危惧
1年B組の担任を務めることになった鬼塚。1998年版と同様に、啖呵を切る形で自己紹介した。「今日からおまえらの担任になる鬼塚英吉だ!」
1998年版では「今日からてめえらの担任になる鬼塚英吉だ」と名乗っていたので、彼も若干おとなしめになったようだ。
だとしても、現代っ子とはかなりギャップがある。生徒たちに「あだ名つけようぜ」と呼びかけるも、返ってきたのは「なんで、そんなことする必要あるんですか?」「あだ名で呼ぼうというのも陽キャの理論というか」「いじめにつながる危険性がある」といった冷めた反応ばかりだった。鬼塚からすると、「あだ名も呼べないこんな世の中じゃ」といった心境か。
疑問に思わないところがないではない。生徒をあだ名で呼ばず、さん付けで呼び合う学内ルールは今やめずらしくない。クビになってばかりという設定の鬼塚だけに、平成からいきなり転生したかのような浦島太郎的な価値観が不自然に思えた。曲がりなりにも平成~令和を生き抜いてきた教師なのに、現代っ子の価値観とギャップがありすぎる。
加えて、今どきの高校生の描写が極端すぎたのだ。青春の謳歌を啓蒙する鬼塚に「学校は楽しむものじゃなく、未来へのステップだと思います」と達観した考えを表明したり、鬼塚が発した「合コン」というワードに「意味がわからないから検索しときまーす」と一斉にタブレットで検索し始めたり、「高校時代のクラスメイトが人生の大切な友人になると思ってる奴はそんなにいない」と言い出したり。
マクドナルドに集まり雑談している姿を見るかぎり、今の高校生は決してそんなにドライじゃない。もちろん誇張してはいるだろうが、今年70歳を迎える脚本家が「今の高校生はタブレットばかり凝視して、話し相手を見ようとしない」とイメージだけの偏見で考えた設定……という感じがして、その解像度の低さが悪い意味で目についたのだ。令和版『GTO』の懸念点として、そこは非常に気になる。

