◆52歳になって優しくなった鬼塚
鬼塚のキャラ変といえば、妙に熱血教師化した感も受けた。「生きてても仕方ないんで、俺はもうすぐ死ぬ」とほのめかす不登校生徒の片山健太(森本陸斗)に振り回される鬼塚。首吊り自殺した……ふりをする健太を助けようと右往左往する姿は、我々が知る鬼塚の対応ではなかったと思う。
昔の鬼塚は「やってみろよ。なんなら、手伝ってやろうか」と突き放し、冬月先生から「なに考えてるんですか!」と責められながら、最終的に唯一無二の方法で手を差し伸べるタイプだった。
つまり、52歳になって丸くなったのだろう。角が取れて優しくなった鬼塚が今の高校生とどう向き合っていくかは、令和版『GTO』の注目ポイントだ。
◆ヒールの教頭が言うことのほうがもっともな構造
健太が不登校になった理由はコロナだった。自身が罹ったコロナに感染し、母は他界。葬儀で泣き崩れる父を見た健太は、その手を握ろうとした。しかし、父は健太の手を振り払った。「『こうなったのはおまえのせいだ』って言われた気がした。『おまえが死ねばよかったのに』って言われた気が……。それから、お父さんには1回も触れてないんだよね。っていうか、小学5年から誰にも触ってないかも」(健太)
以来、人と接するのを避けて学校に通わなくなった健太。人との接触がトラウマになっているから、彼はドライな校風を持つ高校への進学を選んだのかもしれない。
1998年版~令和版の間に起こった出来事を取り上げている、今回の『GTO』。相対する事象は難しいものばかりだが、それらに対し鬼塚はどのように体当たりするのか?
今と対峙するという意味で、学校側の対応も重要ポイントである。たとえば、健太の登校を促そうとする鬼塚に対し、中丸教頭が口にした「今は学校に来ることが絶対に正しいという時代じゃない」という言葉。
「教師がそれ言っちゃおしまいだろ!」と鬼塚は返したが、中丸の主張も正しいだけに切ない。今は通信制を選ぶ高校生も増えているし、高校に通わず大検合格を目指す生き方も肯定するべきだろう。
主人公の教師よりヒールの教頭が言うことのほうがもっともな構造が、令和のドラマにはある。昔の空気感と今の空気感を両立させる難しさが、このシーンからは垣間見えた。
◆小栗旬のエピソードを思い出すGTOらしさ
集団自殺に参加する自殺志願者たちを乗せたワゴンに立ちふさがり、強引に停車させた鬼塚。そのワゴンから健太を降ろし、ついでにほかの自殺志願者もつまみ出し、全員を助けるあたりは鬼塚らしい。1998年版ならワゴンの窓ガラスをハンマーで叩き割り、運転手をボコボコにして自殺サークルを壊滅させるくらいしていた気はするが、今の鬼塚は52歳である。ひと暴れした後に体があちこち痛む“あるある”を挟みつつ、平成世代の教師が令和の難題に立ち向かう姿には意義がある。
冷笑世代の健太は「これから分断とか温暖化とかいいこともなさそうだし、なんで生きてなきゃいけないんだよ!?」と、鬼塚に迫った。彼が抱く“生きていることに疲れる気持ち”を聞き、共感しかけた自分がいる。今の日本では、楽しい未来も期待できそうにない。
そんな健太の問いに対する鬼塚のアンサーは、「お前が死んだら俺がさびしいからだよ」だった。1998年版と同様に、教師と生徒ではなく友だちとしての関係を築こうとする鬼塚。友だちがいなかった健太の最初の友だちに鬼塚がなるということ。
気弱ないじめられっ子だった吉川のぼる(小栗旬)の最初の友だちになったのも、鬼塚だった。1998年版のエピソードを思い出すのだ。このクサさが、『GTO』だ。やっと、鬼塚らしくなってきた。
「自分を許してやれ、健太。悪いのはコロナだ、おまえじゃない。お母さんだって、きっとそう思っている」(鬼塚)
かつて、生徒と親の間にある壁をハンマーでぶち壊した鬼塚。しかし、今は自分から親に歩み寄る覚悟を教えている。パワーダウンは否めないが、歳を重ねることで獲得した良さもある。
◆続編『GTO』は鬼塚の成長する姿がテーマ
「POISON」の歌詞と重ね合わせて考えてみたい。口に出して言えないことをSNS等で文字にして発信する生徒たち。言いたいことを言えずとも行動にして伝えようとする鬼塚。両者の対比が令和版『GTO』の肝に思えた。鬼塚と交流するにしたがい、生徒たちは言いたいことを言える人間へと変わっていくのかもしれない。ただし、それは重労働である。1998年版ではうまく行っていたことも、今はうまく行かない。そのギャップに鬼塚はきっと苦しむことになる。
逆に言うと、暴力が許容されていた時代にあえて鬼塚はいらないはずだ。今みたいな時代だからこそ、鬼塚は光る。
現代のコンプライアンスのなかで『GTO』の醍醐味である痛快さを融合させる難しさは、初回時点ではっきりと感じた。同日同時間帯にTBSで放送されていた『あらびき団』がコンプラお構いなしにぶっ飛んでいた事実を考えると、ドラマ制作の難しさを思い知る。
だからこそ、令和版『GTO』の意義が見えてきた。鬼塚が発するメッセージに生徒が感化される構図だった1998年版に対し、令和版『GTO』は浦島太郎的な鬼塚が成長していく様子がテーマになる。
そういう意味で、1998年版とはあまり一緒にできないだろう。新しいドラマとして、見どころを変えて追うべき続編になると思う。
<TEXT/寺西ジャジューカ>
【寺西ジャジューカ】
1978年、東京都生まれ。2008年よりフリーライターとして活動中。得意分野は、芸能、音楽、(昔の)プロレス、ドラマ評。『証言UWF 最後の真実』『証言UWF 完全崩壊の真実』『証言「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実』『証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実 』『証言 長州力 「革命戦士」の虚と実』(すべて宝島社)で執筆。

