税理士は複数名義の預貯金をすべて「父の財産」と判断
吉田課長「O税理士はどのように対応したのですか?」
O税理士は、これらの定期預貯金を亡乙の相続財産として申告すべきだと判断し、相続税申告書のほとんどを作成しました。これに対し原告(長女)は、亡乙名義以外の定期預貯金については、亡乙から生前に贈与を受けたものであり、相続財産として申告するのは誤りだと反発しました。
しかし、相続税の申告期限が迫っていたため、遺産分割協議書や申告書を作り直す時間はありません。
そこで原告(長女)は、他の相続人と同様に遺産分割協議書(下記2.(3)③イ.)に署名・押印したうえで、その内容に沿って相続税の申告を行い、同時に「申告内容に誤りがある」として更正の請求をしたのです。
吉田課長「遺産分割協議書には、問題の定期預貯金の記載もあるんですよね?」
はい。「遺産分割協議書」とは、被相続人の財産を確認し、その財産を誰が相続するかについて、相続人全員が合意したことを示す文書です。
本件では、原告が「相続財産ではない」と否認している預貯金(本件申告預貯金。前掲2.(2))についても、遺産分割協議書に記載されていました。したがって、遺産分割協議書に署名・押印しておきながら、更正の請求で是正を求めるというのは、矛盾した行為だと言わざるを得ません。
ただし、この裁判では、本件申告預貯金を遺産分割協議書に記載したこと自体は、直接の争点にはなっていません。
2.親族名義預貯金の帰属に関する裁判例
(3)問題となった預貯金の事実関係
①昭和55年頃
亡乙は、K農協、L信用金庫において、亡乙、丙(後妻)、丁(長男)、戊(二男)、原告(長女)、丁・戊の子どもなどの名義で、定期預貯金の預け入れ・解約・継続を繰り返していた。
②平成21年4月25日(亡乙の死亡時)
相続人全員の名義預金と、原告の子どもを含む「相続人の子ども名義」の預貯金などを合わせた本件申告預貯金等は合計45口存在していた。このうち、原告ら名義の預貯金(本件申告預貯金)は10口、合計828万2,785円であった。
③平成22年2月22日
イ.本件遺産分割協議書が作成された。
ロ.本件申告預貯金等は、遺産分割の対象となる相続財産として記載された。
ハ.本件申告預貯金等については、共同相続人がそれぞれ自分の名義の預貯金を取得し、共同相続人の子名義の預貯金については、その親である共同相続人が取得すると記載されていた。
ニ.相続税の申告書にも本件申告預貯金等が相続財産として記載されていた。
(4)原告による更正の請求
原告ら名義の本件申告預貯金について、原告は「亡乙が生前に各名義人へ贈与したものであるにもかかわらず、誤って相続財産として申告してしまった」として、亡乙の死亡に係る相続税の更正を求めた(本件更正の請求)。なお、原告以外の共同相続人は更正の請求をしていない。税務署長はこの更正の請求を認めず、争いは裁判に発展した。
吉田課長「原告(長女)はなぜこのようなことをしたのでしょうか?」
原告には「強い想い」があったのだと思います。その始まりは、昭和55年頃に遡ります(上記2.(3)①)。亡乙はこの頃から、自身が死亡した際の相続税負担を軽くする目的で、妻・子ども・孫などの名義で定期預貯金を作り続けていました。定期預貯金の解約も含め、亡乙が亡くなるまで25年以上にわたり続けられていました。
こうした亡乙の行為について、O税理士は「これらの預貯金はすべて亡乙の財産である」と判断しました。原告は、父が自分のために贈与していた“自分の財産”がすべて父自身の財産であると判断され相続税負担が増えることに、反発したのです。
「名義預金」は誰のもの?…判断のポイント
吉田課長「本件申告預貯金がすでに原告へ移転していたのか、それとも亡乙が持ち続けていたのか、その判断はどうやって行うんですか?」
当事者の主観だけでは判断できません。亡乙と原告などの関係者が実際にどのような行為・行動をとっていたのか、客観的な事実関係を総合的に分析して判断します。ここでは、亡乙と原告が行った行為に絞って整理します。
裁判所は、①預け入れ時の名義人名・住所・登録印、②原告名義の預貯金の解約と使途、③預貯金証書の保管状況、④その後の登録印の保管状況の4点を検討しました(下記2.(5)~(8))。
2.親族名義預貯金の帰属に関する裁判例
(5)預け入れ時の名義人名・住所・登録印(原告の場合)
①平成11年11月25日前に存在していた本件申告預貯金
名義人は原告の旧姓「乙」が使用され、住所は亡乙の住所地であった。
②平成11年11月25日以後に開設された本件申告預貯金
名義人は原告の現在の姓「甲」が使用され、住所は原告の住所地となった。登録印には、原告が保管していた「甲」の印鑑が使用された。
(6)原告名義の預貯金の解約と使途
原告は平成14年3月、東京都の自宅隣接地を購入するため、手付金500万円を不動産業者に支払った。原告から事情を聞いた亡乙は、500万円を原告に渡した。
この500万円が「原告名義の本件申告預貯金から支出されたのか」「亡乙自身の預貯金から支出されたのか」が、裁判において争点となった(前者であれば、原告はすでに本件申告預貯金の贈与を受けていたことになる)。
(7)預貯金証書の保管状況
亡乙は、本件申告預貯金等に係るすべての定期預貯金証書を自ら保管しており、名義人である原告ら親族に渡すことはなかった。
(8)その後の登録印の保管状況
亡乙は、本件申告預貯金等の登録印として使われていた「甲」(原告)や「Q」(戊。二男)の印鑑を保管していた。ただし、平成15年以降は原告および戊に対し、それぞれ印鑑を交付している。
吉田課長「今回の裁判で問題になっているのは、原告(長女)とその子どもの名義の預金だけですよね」
そのとおりです。税務署は、預貯金証書に記載された「名義」「住所」「登録印」に注目します。本件では、他の相続人は訴訟に参加していないため、原告ら名義の預貯金について集中的に審理されました。
原告は結婚により姓が「乙」から「甲」に変わりました。本件申告預貯金が原告のものであれば、名義や住所を正しく変更するのが普通です。
原告が結婚したのは昭和62年ですが、その約11年後に初めて、原告名義の預貯金が旧姓のまま、住所も実家のままであることに気づきました。そこで、原告はこの点を亡乙に話し、平成11年11月25日に名義・住所・登録印の変更を行いました。
この事実から、もし贈与を受けていたのであれば「なぜ約11年間も名義変更をしなかったのか」という疑問が生じます。
ただし、同日以降に開設された本件申告預貯金については、名義人の姓を「甲」、住所を原告の住所地、登録印を「甲」に変更しており、この時点で名義・住所・登録印の問題は一応解消されています。
税務の観点では、預貯金口座の贈与を受けたのであれば、金融機関に姓・住所の変更を届け出て、登録印は贈与者と異なるものに変え、自ら保管しておくことが重要です。
吉田課長「『②原告名義の預貯金の解約と使途』ですが、この事例では農協と信用金庫に預けていたのですね」
はい。金融機関には、全国で営業する金融機関と、地域限定で営業する金融機関があります。本事例は後者で、地域限定の金融機関に預けられた預金でした。
原告は東京に住んでいたため、すぐに出し入れすることはできません。そこで、父である亡乙に預かってもらっていた、というのが原告の主張です。
このような場合、もし贈与が成立しているのであれば、預貯金通帳を預かる亡乙には「これは預かり物である」という強い自覚が必要になります。
