◆立花孝志氏を「絶賛」した危うさ
たとえば、件の兵庫県知事の出直し選で立候補した立花孝志被告(当時は「NHKから国民を守る党」党首)への評価です。折田氏は「立花さんが斎藤さんを守るという背景にはメディアを正していかなければならないという思いがある」と動画内で絶賛していたのです。立花被告には当選する意思はなく、斎藤知事を「合法的にサポート」するためだけに出馬したと主張し続けました。「斎藤知事はパワハラをしていない」とか「元県民局長は不倫がバレるのを怖れて自殺した」とかと真偽が定かではない発言を繰り返し、選挙戦を引っ掻き回しました。
これが従来の常識からかけ離れていたことは言うまでもありません。
つまり、公的な選挙において意図的に愉快犯のように立ち回った立花被告に崇高な価値を見出していたと、折田氏は公言したわけです。それは、自らの利益にプラスであると判断すれば、内容や文脈を問わず利用するという超近視眼的な独善性だと言えるでしょう。
ここから、ごくごく基本的な倫理観すらなかったのではないかという疑義が生じます。彼女のPR活動の根っこには、民主主義社会において最低限保たれるべき良識のかけらすら存在していなかったと言われても仕方のない行為だと言えるのです。
◆原爆ドームを「映え」に、有権者の投票を「収穫」に
自らの事業PRのために原爆ドームの前で楽しそうにポーズを取って「映え」を狙った写真をインスタにアップした行為も、これと同様です。そうした視野の狭さと低い視座は他者に対する想像力の欠如という形でもあらわれます。広報活動を野菜の栽培にたとえ、「種まき、育成、収穫」と表現し、有権者の投票を自身の戦略がもたらした成果物だと誇ってみせたのです。
もちろん、コンサルタントやプランナーが全くこういう考え方をしないなどと言うつもりはありません。多かれ少なかれ身も蓋もない損得勘定で動くものだという想像はできます。
しかしながら、それを自分の優秀さと仕事の確かさを示すエピソードとして屈託なく話してしまう横柄な無防備さに、根源的な反感が生まれるのです。
改めて折田氏の言動を振り返りましょう。
ほぼデマゴーグの立花被告の発言でさえも自分の陣営に有利と見れば活用する。これは民主主義が守るべき面倒な手順や倫理をすっ飛ばすという配慮のなさを示している。そして原爆ドームの根本的な意義を脱構築してまで事業に転換する乱暴さには、複雑な歴史的背景への畏怖の念が全く存在していません。さらには、有権者を収奪のコマとして扱うような神の視点から振る舞うことで、各個人の生活や感情、そしてそれが帯びる尊厳についての謙虚さを放棄しているとさえ言える。

