人は内なる言語でものを見たり考えたりする
私は長年、幼児、小学生を学習塾で指導していましたが、雨が降っているとき言語能力が高い子は次のように感じます。
・「雨がシトシト降っている」
・「雨がパラパラ降っている」
・「雨がザーザー降っている」
・「土砂降りだ」
そうではない子は単に「雨が降っている」となります。作文に表現するときも同様です。
ニカウさんの話
古い話ですが、「ミラクル・ワールド ブッシュマン」という映画の主演を務め、“ナミビアで一番有名な俳優”のニカウさんが来日したときの話。生まれて初めて“海”を見たとき叫んだという話があります。
「なんで大きな海なんだ!」
ニカウさんは“湖”という言葉を持っていないので海を見ても“湖”として捉えていたようです。
このように人は見たり感じたりするときは“言葉=内言”を通して考えます。もし、蝶しか知らなくて蛾を見たことのない人が蛾を見たら「なんだがおなかが膨れている汚い蝶だなあ」と考えるかもしれません。
この話でも分かるように、本を通してたくさんの語彙(ごい)を獲得した子は、同じ体験をしても緻密に物事を捉えることができます。雨が降っている様子を見てさまざまな表現ができるのも同様ですね。
