小さな動物たちが作られた時代とは
小さな土の動物たちのほとんどは、東日本の縄文遺跡から見つかります。これらは「動物形土製品(どうぶつがたどせいひん)」と呼ばれ、土の人形である「土偶」と同じように、祭祀などの道具であったと考えられています。
①イヌ形土製品(複製)、宇都宮市藤岡神社遺跡出土 出典:Wikimedia Commons
けれども、動物形土製品の数はとても少なく、全国で確認されているのはわずかに数十点ほど。一方で土偶の数は約2万点にのぼるとされ、その数には歴然とした差があります。
土製品のモデルになった動物の割合はイノシシが約半数と最も多く、トリ、イヌ、クマなどが続きます。興味深いのは、北海道ではクマが最も多く作られており、その地域にゆかりのある動物が選ばれたという特性が見て取れることです。
動物形土製品はその希少さから、土偶の「動物版」とも、あるいは粘土を捏ねていた時の「思いつき」で作られたようにも思えます。ですがその細部を観察すると、そこには縄文人の動物に対する並々ならぬ想いが込められていることがわかります。
初めて「動物」がかたどられたのは、今からおよそ7000年前。最初に現れたのはイノシシでした。山梨県の遺跡から出土した土器の口縁部に、親指ほどの小さなイノシシの「顔」が付いたのです。
②動物装飾付把手 、北斗市茂辺地出土 出典:ColBase
それは、誕生してから数千年もの間、顔の表現がなかった土偶にようやく目鼻口が描かれるようになり、シンプルだった縄文土器に創造性豊かな造形が施されるようになる時期と重なります。
なぜ、この時期にこれほど多様な造形が生み出されたのでしょうか。
当時は、縄文時代の始まりから徐々に進んできた温暖化がピークを迎え、陸地の奥まで海が入り込む縄文海進(じょうもんかいしん)と呼ばれる現象がおこっていました。
海や川の恵みに加え、森には木の実が豊富になり、それに伴い狩りの対象である獣も増えていきました。人々は安定した食生活を送るようになり、人口が増え、大きな集落を作り生活するようになります。
コミュニティが形成されると、そこには豊かな文化が芽生えます。人々の輪を保つための祭祀が盛んに行われるようになり、そのための道具も発展していきました。
縄文土器も、調理道具としてだけでなく、装飾を加えた祭具としての役割を持つものが作られるようになり、用途による使い分けが始まります。その一例が、イノシシの顔が付いた深鉢形の土器だったと考えられています。
最重要な食料!?特別な動物「イノシシ」
土器にちょこんと付いていたイノシシは、やがて全身をかたどった「イノシシ形土製品」へと発展します。
③猪形土製品、つがる市木造亀ヶ岡出土 出典:ColBase
では数ある動物の中で、なぜイノシシが作られるようになったのでしょうか。
縄文人のゴミ捨て場とされる貝塚からは、彼らが食べたさまざまな動物の骨が見つかります。その中で特に多いのがイノシシとシカで、食料となった獣の80%近くを占めていました。
当時の主食は森の木の実でしたが、春から夏にかけてはほとんど収穫できません。夏の到来は過ごしやすい反面、実は食料不足の時期でもありました。これをカバーするために冬に獲物を多く確保し、備える必要がありました。
狩猟で得た肉は、燻製や干し肉にして保存食としました。なかでもイノシシとシカは、高たんぱくでビタミン豊富という極めて優秀な食材です。
ただ、両者には大きな違いがあります。シカは低脂質・低カロリーなのに対し、イノシシはたっぷりの脂肪を含んだ高カロリー食材です。 脂肪が摂れるイノシシは健康維持に役立ち、さらにその脂身の美味しさは、特に寒い冬に体を温めるご馳走として、縄文人たちに大いに好まれたことでしょう。
こうした背景から、狩猟に対する感謝の形としてイノシシがかたどられたのではないかと考えられそうです。また、一度に4〜5頭の子を産む多産な特性にあやかり、安産や子孫繁栄を願って作られたという説もあります。
イノシシ形土製品の造形に目を向けると、写実的な描写から大胆にデフォルメされたものまで実にバリエーション豊かで、胴体に土器と同じその地域独特の文様が刻まれているものもあります。
④猪形土製品、市原市能満上小貝塚出土 出典:Wikimedia Commons
また成獣ばかりでなく、子どもの「うりぼう」も作られています。こうした造形の幅広さからも、イノシシが特別な存在であったことがうかがえます。
ところで、同じように縄文人の胃袋を満たしていた「シカ」ですが、土器に文様として刻まれることはあっても、独立した立体物になった例はほとんど見られません。
シカは角が毎年生え変わるため、古来から「再生の象徴」とされています。しかし、イノシシの突進する力強さや多産という「目に見える生命エネルギー」の前には、造形の欲求を掻き立てられるには至らなかったのでしょうか。あるいは、後の時代のように「神の使い」として神聖化され、安易に形にできなかったという想像も膨らみます。
