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【かわいい縄文芸術の動物たち】多様なフィギュアはなぜ作られた?縄文人の世界観を紐解く

受け継がれる「クマ」への想い

今では恐ろしい存在の代名詞であるクマですが、北国の縄文人にとっては、肉・毛皮・牙・骨のすべてを余すことなく利用できる、かけがえのない存在でした。その証拠に、愛らしい「クマ形土製品」がいくつも見つかっています。

5クマ形土製品、弘前市尾上山遺跡(撮影者:田中義道)青森県立郷土館 出典:JOMON ARCHIVES⑤クマ形土製品、弘前市尾上山遺跡(撮影者:田中義道)青森県立郷土館 出典:JOMON ARCHIVES

クマ形土製品は墓の周辺や祭祀場と思われる場所から出土することもあり、神から授かった恵みとして、憧れと畏怖を抱く対象であったとされています。

縄文時代は銃はおろか金属の武器も無く、クマは今以上に恐ろしい存在で、クマによる被害も当然あったはずです。それでも縄文人たちはクマを愛らしくかたどり、儀式に用い、墓に供えました。縄文人がクマに込めた想いは、今の私たちには計り知れないものがあるようです。

クマとの関わりが多かったと思われる北海道では、縄文時代に続く続縄文時代(本州の弥生時代)にはクマを彫刻した祭具用のスプーンが作られ、さらにその後の時代にはクマの像が登場します。

そして近代アイヌは、捕獲したクマや飼育したクマを神に捧げる「クマ送り」という儀礼をおこなってきました。

6クマ形土製品 、青森市三内丸山(5)遺跡他出土(撮影者:田中義道)青森県埋蔵文化財調査センター 出典:JOMON ARCHIVES写真挿入 ⑥クマ形土製品 、青森市三内丸山(5)遺跡他出土(撮影者:田中義道)青森県埋蔵文化財調査センター 出典:JOMON ARCHIVES

こうした歴史の連続性を見ても、縄文人はクマを単なる獲物ではなく、常に畏敬の念を持って接してきたことがうかがえます。だからこそ、恐ろしい存在としてではなく、あえて親しみを感じさせる愛らしい姿を作り出したのかもしれません。

トーテムとしての可能性

最初に述べたように、動物形土製品のモデルとなった動物は10種類近くが確認されていますが、今から約4000年前以降の東日本では、特定の動物(イノシシ、クマ、イヌ、サル、トリ、マキガイ)だけが目立つようになります。

7猿形土製品、さいたま市真福寺貝塚出土 出典:ColBase⑦猿形土製品、さいたま市真福寺貝塚出土 出典:ColBase

それらは一つの遺跡からほぼ一種類だけが出土し、異なる時期に同じ動物が作られることもありました。人間の墓の近くに祭具と一緒に埋められたり、時には首をはねるなどの供養の痕が見られるものもあります。

また動物の胸あたりに、人間の女性と同じような乳房が表現されることもあり、人間と動物が「共通の母」から生まれたという世界観を表わしているとも言われます。

こうした状況から、これらの動物はトーテム(特定の集団を結びつける象徴)であった可能性が高いと考えられています。自分たちの集団のシンボルとして動物を掲げ、共通の先祖を敬うことで、一族の絆を深めていたというものです。

8異形土製品、東京都大田区下沼部貝塚出土 出典:ColBase⑧異形土製品、東京都大田区下沼部貝塚出土 出典:ColBase

この頃、気候の寒冷化によって山の恵みが減り、かつてのような大集落を維持することが難しくなりました。人々は分散して生活するようになり、時に同じトーテムを持つ集団同士が協力して、食料の確保や葬送の儀礼などをおこなっていたと考えられています。こうしたシステムは、厳しい環境を生き延びるための知恵だったと言えるのかもしれません。

また当時は列島各地を結ぶ道ができ、遠く離れた人々と物資の交換をするなど、縄文人の行動範囲は広がっていきました。そうしたときに、動物形土製品が自分の属する集団を示す「身分証」としての役割を果たしたとも考えられています。

配信元: イロハニアート

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