ディエゴ・ベラスケス《ラス・メニーナス》(1656年)。画面中央のマルガリータ王女、左側のベラスケス、奥の鏡など、複数の視線が交差する一枚。, Public domain, via Wikimedia Commons.
「絵を見ている」はずなのに、「見られている」…?
この奇妙な違和感に強く惹かれたのが、フランスの哲学者ミシェル・フーコーでした。フーコーの視点から『ラス・メニーナス』を眺めてみると、その落ち着かない理由が少しずつ見えてきます。
『ラス・メニーナス』、絵の主役は誰?
『ラス・メニーナス』は、スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが1656年に描いた油彩画です。現在はマドリードのプラド美術館に収められていて、スペイン美術史上もっとも有名な一枚とされています。
まず目に入るのは、画面の中央にいる幼い女の子です。スペイン王フェリペ4世の娘、マルガリータ王女。明るい光を浴びて、こちらをまっすぐ見ています。
両脇には王女の世話をする侍女(メニーナ)たちが寄り添い、右手前には大きな犬と、宮廷に仕える小柄な人物たちがいます。
ここまでは宮廷の日常を描いた微笑ましい絵に見えますね。
しかし、もう少し視線を左に動かしてみてください。
画面の左側には、大きなキャンバスを前にした人物が立っています。絵筆とパレットを手にして、こちらを見ている人物はベラスケス自身です。
画家が自分の絵の中にいる。しかも何かを描いている最中です。ここで素朴な疑問が浮かびます。
ベラスケスは、いったい何を描いているのでしょうか。
奥の「鏡」の存在に気付いたとき
答えのヒントは、絵の奥にあります。
画面のいちばん奥、薄暗い壁にぼんやりと光る四角いもの。よく見ると、鏡です。そしてその鏡の中に、二人の人物がうっすらと映っています。
国王フェリペ4世と、王妃マリアナです。
《ラス・メニーナス》の鏡のディテール。奥の鏡には、国王フェリペ4世と王妃マリアナの姿がうっすらと映っている。, Public domain, via Wikimedia Commons.
ここで少し立ち止まって、鏡の意味を考えてみましょう。
鏡に王と王妃が映っている。そうなると二人は絵の奥ではなく、私たちと同じ側、つまり絵の手前に立っていることになります。
そう考えると、ベラスケスが大きなキャンバスに描いている相手は、王と王妃だったと考えられます。
そして、ここで不思議なことが起こります。絵の前に立つ私たちは、かつて王と王妃がいた場所に重なってしまうのです。
ベラスケスがこちらを見ているように感じるのも、そのためです。彼の視線は私たちに向けられているようでいて、本来はそこに立つ王と王妃へ向けられている。
つまり私たちは、知らないうちに王と王妃の視点へ入り込んでしまうのです。
《ラス・メニーナス》では、画家、鏡、鑑賞者の位置が複雑に重なり合う。絵の前に立つ私たちは、かつて王と王妃がいた場所に立たされることになる。(イメージ)
なんだか急に落ち着かなくなってきませんか。さっきまで絵を外側から眺めていたはずなのに、いつのまにか自分が絵の中に組み込まれています。
見る側だったはずの自分が、ベラスケスに見られる側になっている。この「落ち着かなさ」の正体を、鮮やかに言い当てた人物がいます。
哲学者のミシェル・フーコーです。
