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【足元に何がある?】ホルバイン《大使たち》──華やかな肖像画が「死の絵」に変わる瞬間

Holbein-1ハンス・ホルバイン《大使たち》(1533年)。ナショナル・ギャラリー(ロンドン)蔵。縦横2メートルを超える大画面に、二人の外交官と謎の物体が描かれている。, Public domain, via Wikimedia Commons.

しかし足元に目を落とすと、何か変なものがあります。宙に浮くように引き伸ばされた、正体不明の物体。気になって目を凝らしても、正面からではうまく見えません。

ところが絵の右端に回り込み、斜めから覗き込むと、その正体が一瞬でわかります。その瞬間に、この絵が与える印象がまるごと変わってしまうのです。

29歳と25歳の外交官

左に立つのは、ジャン・ド・ダントヴィル、29歳。フランスからイングランド宮廷に派遣された外交官です。右はその友人ジョルジュ・ド・セルヴ、25歳。ラヴォール司教という聖職者でありながら、外交の場にも立っていた人物です。

当時のロンドンは、ヨーロッパ中が固唾をのんで見守っていた場所でした。

きっかけは、イングランド王ヘンリー8世の結婚問題です。ヘンリー8世は王妃キャサリンとの結婚を解消し、アン・ブーリンとの再婚を望みました。

しかしカトリックの教えでは、結婚は神の前で結ばれたものとされ、簡単に解消することはできません。ローマ教皇がこれを認めなかったことで対立は深まり、やがてイングランドとローマ教会の決裂へとつながっていったのです。

いつ国際的な争いに発展してもおかしくない歴史的危機の渦中へ、二人は送り込まれていました。

しかし、絵の中にいる彼らに焦りはまったく見えません。正面を向いて堂々と立ち、自信に満ちた表情をしています。その余裕を見せつけるかのように、二人の間には立派な棚が置かれ、ところ狭しと道具が並べられています。

棚に並ぶ「知」と、切れた弦

Holbein-2ハンス・ホルバイン《大使たち》(1533年)。部分, Public domain, via Wikimedia Commons.

上の段には天球儀、日時計、天文機器。空の動きを測り、時間を知るための道具です。下の段には地球儀、算術の教科書、リュート、讃美歌集。天と地の象徴として、両方の知識が揃っています。

16世紀のエリートにとって、こうした道具を背景に描かれることは「自分がどれほど教養ある人間か」を示す名刺のようなものでした。

ところが、よく見ると不穏なものが混じっています。リュートの弦が一本、切れているのです。リュートは調和の象徴です。弦が揃って初めて、美しい和音が鳴ります。一本でも切れていれば、その響きは崩れてしまう。そのすぐ隣には、ルター派の讃美歌集が置かれています。

音楽の調和を失ったリュートと、宗教改革を思わせる讃美歌集。この二つを並べて見ると、この棚はただ教養を誇るために描かれてはいません。

カトリックとプロテスタントの対立がヨーロッパを引き裂こうとしていた時代に、「調和はもう壊れている」ことを静かに告げるメッセージでもあるのです。

しかしこの絵のもっとも大きな仕掛けは、棚の上ではありません。足元にあります。

絵の右端に回り込んでみると

床に浮かぶように描かれた、斜めに引き伸ばされた白い物体。正面から見ると、形がうまくつかめません。何かの模様のようにも、絵の具が滲んだ跡のようにも見える。二人の大使も、何もないかのように足元を気にしていません。

その正体はドクロです。人間の頭蓋骨が、床に横たわっています。

Holbein-3《大使たち》足元の詳細。正面から見ると、何かが横たわっているようにしか見えないが、この白い歪みの中にホルバインは人間の頭蓋骨を隠していた。, Public domain, via Wikimedia Commons.

正面からはただの歪んだ塊だったものが、角度を変えた途端、くっきりと形が浮かび上がる。華やかな肖像画のど真ん中に、死の象徴が堂々と置かれていたのです。

このように特定の角度から見たときにだけ、本来の姿が浮かび上がるよう歪めて描く技法を「アナモルフォーシス(歪像)」と呼びます。《大使たち》に描かれたドクロは、西洋美術史でもっとも有名なアナモルフォーシスのひとつです。

配信元: イロハニアート

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