【フリーアナウンサー渋佐和佳奈CHICAGOライフVol.6】シカゴのツウな夜の過ごし方。ジャズとシカゴの深い繋がり
アメリカ・シカゴに住み1年半が経つフリーアナウンサーの渋佐和佳奈さんが、現地に暮らすからこそ感じる魅力や旬なトピックスをお届け! 今回はシカゴと実は深い繋がりを持つ「ジャズ」について紹介します。ジャズ発祥の地であるアメリカ南部のニューオリンズから、どのようにシカゴへジャズ文化が流れ込み発展していったのか? またシカゴの夜を彩るオススメジャズクラブまで、たっぷりとお届けします。
「シカゴジャズ」はどのように確立されたのか?
ギャングとの意外な関係
独特なリズムで奏でられるジャズは、どこかでおしゃれで「大人の音楽」というイメージがありますよね。今ではカフェやバーなどのBGMでよく流され、私もリラックスしたいときにかける大好きな音楽ジャンルです。そんな魅力的なジャズに、シカゴに来てからより触れる機会が増えました。
ジャズの歴史を振り返ってみると、1900年ごろアメリカ南部に位置するニューオリンズで誕生したと言われています。ニューオリンズは港に面していることから、人種の交流が盛んな街。植民地時代にフランスやスペインなどから移住したヨーロッパ人や、奴隷制度の時代にアフリカから連れてこられた黒人が多く在住していました。そして、その黒人と白人の間に生まれた混血人種の「クレオール」と呼ばれる人たちによる、西洋とアフリカ音楽の融合こそが「ジャズ音楽」の発祥と言われています。ニューオリンズではプロのジャズミュージシャンが誕生し、世界的にも発展していくと思われていたところ、第一次世界大戦によってその多くが職を失います。そこで彼らがたどり着いた先が、産業都市として急成長を遂げていたシカゴだったのです。
アメリカ南部のニューオリンズから、北へ約1500km先のシカゴへ。
バーでの生演奏によりミュージシャンの需要が高まっていただけではなく、1920年から13年間続いたある法律によって「シカゴジャズ」は大きく発展していきます。それは「禁酒法」と呼ばれる、アメリカ国内でのアルコール飲料全般の製造や販売を違法とする法律。しかし現実は、非合法の酒場で質の悪いアルコールが出回り、アンダーグラウンドを牛耳るギャングの勢力を拡大させるものでした。しかも当時のシカゴは、かの有名なアメリカを代表するギャング「アル・カポネ」の支配下であったため、カポネをはじめとしたギャングがオーナーのスピークイージー(秘密酒場)が多数存在しました。当時カポネは、シカゴ市内に1万軒以上の酒場を所有していたそうです。多くのジャズミュージシャンたちがギャングたちに雇われ、そういった酒場のステージに立つことで、シカゴにジャズが根付いていったそうです。
「サッチモ」の愛称で親しまれたジャズの王様 ルイ・アームストロングも、ニューオリンズからシカゴに移住し、スターロードを歩んでいったひとりというから驚き。他にも数多くの有名ジャズミュージシャンがシカゴを舞台に活躍し、禁酒法と共に開花し成長していった「シカゴジャズ」。専門的なことはわかりませんが、当時のシカゴジャズの特徴は、ジャズの大元であるニューオリンズジャズと比べると、曲の途中でそれぞれの楽器のソロが確立され、リズム感がよくスウィングリズムを楽しめるスタイルとのこと。
シカゴダウンタウンにある「Harry Caray’s」は、現在人気のイタリアンステーキレストランですが、100年前はアル・カポネの右腕フランク・ニッティが住んでいた建物で、ギャングの隠れ家兼スピークイージーでした。
現在もレストランの地下に行くと、当時ギャングたちがシカゴの街を出入りするために使われていた地下トンネルの入り口や金庫を見学することができます。
余談ですが、なぜ禁酒法時代に生まれた秘密酒場のことを「Speakeasy(スピークイージー)」と言うのかというと、隠れてお酒を提供しているため「大きな声では言えないけれど……」「こっそり、ひそひそと話して、まわりに聞かれないように……」という意味が込められているからだそうです。シカゴには当時の形跡が残っているお店や、酒屋として今なお続くバーがいくつかあるので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
また、毎年8月末から9月初めにかけてシカゴ中心地にあるミレニアムパークで「Chicago Jazz Festival」というイベントが開催されます。なんと入場無料! 夏の終わりの気持ちいい天気の下、本格的なジャズを楽しめる世界最大規模の野外ジャズコンサートです。
1974年に始まった歴史あるイベント。期間中、様々なジャズアーティストがステージに立ち、連日大盛況。

