救急医療を変える?「代謝を落として命を守る」新発想
編集部
この研究はどのような医療現場での応用が期待されていますか?
櫻井先生
最も期待されるのが救急医療への応用です。急性心筋梗塞や大出血で心肺機能が低下すると、全身の酸素需要を満たすことができなくなります。そのため、一刻も早く医療施設に搬送して酸素供給を回復させる必要があります。
ここで、経済と同じように「供給が足りないなら需要を落とせばいい」という発想の転換をしてみましょう。QIHで代謝を数十分の一に抑えることができれば、酸素が不足していても臓器障害・組織障害が起こりにくくなり、結果的に救急搬送や治療開始までの時間を稼げる可能性があります。
編集部
脳の保護効果は実際に確認されているのでしょうか?
櫻井先生
はい。脳の線条体(せんじょうたい:運動や行動に関係する脳の部位)に外傷を与えたマウスで実験を行いました。外傷後すぐに24時間QIHを行うと、神経細胞の残存率が明らかに改善し、歩行機能などの予後にも大きな違いがみられました。マウスの脳内を詳しく調べると、脳内の免疫細胞であるミクログリアが、炎症を促すタイプから神経保護に関わるタイプへ変化していました。
以前、脳外傷の患者さんに対して外側から体を冷やす「低体温療法」が試みられたことがありますが、低体温症などの副作用が問題となり広く普及しませんでした。QIHは従来の低体温療法とは異なる仕組みで体温や代謝を調整するため、副作用を抑えられる可能性があり、より安全性の高い方法として期待されています。
アンチエイジング効果も? 老化を遅らせ、腫瘍発生を防ぐQIHの可能性
編集部
冬眠と長寿・老化抑制の関係についても詳しく教えてください。
櫻井先生
体温の低い変温動物は長寿種が多いことで知られています。例えばカメは100年以上生きる個体もいますし、寒冷な海域に生息する一部のサメには非常に長寿と考えられている種もいます。また、哺乳類の中でもハダカデバネズミは体温が約30℃程度しかなく、一般的なマウスの寿命が2年程度とされるのに対して30年以上生きることが知られています。こうした事実から、低体温は加齢の速度を遅らせる可能性が示唆されています。
そこで、1週のうち数日間マウスをQIH状態にするという実験を長期間続けています。コントロール群のマウスが2年ほど経つと腫瘍などが原因で亡くなっていくのに対し、QIH群では現時点で死亡が確認されていません。
編集部
加齢が遅くなっているかどうかを客観的に確かめる方法はあるのでしょうか?
櫻井先生
「エピジェネティッククロック」という遺伝子の変化から年齢を推定する方法があります。遺伝子の働き方は加齢とともに変化するので、複数遺伝子のメチル化パターンを調べることで、生物学的な年齢を推定することができます。この方法による調査研究の結果、QIHを続けているグループでは加齢の速度が遅くなり、腫瘍の発生も確認されませんでした。要因としては細胞分裂速度が低下することで細胞ががん化しにくくなっている可能性が考えられます。
さらに、炎症の抑制も大きな要因だと考えられています。動脈硬化や肥満、脳の病変など、多くの加齢性疾患には慢性炎症が関わっているといわれており、炎症を継続的に抑えることで、さまざまな加齢性疾患を防げる可能性が示唆されています。また、オスのマウスで加齢に伴って認められる精のう腺(せいのうせん)の肥大も、QIHグループではほとんど認められていません。

