「ありがとう」は家の空気をよくする換気扇
里江子さん(仮名・56歳)は、事務用品の会社でパートとして働く主婦です。夫の秀平さん(仮名・60歳)は会社員。結婚して30年以上になります。
里江子さん夫婦は、いわゆる仲良しをアピールせず、記念日に外食するわけでもありません。ただ、家の中の空気がやけに軽く明るいです。
例えば、夕食後のキッチン。秀平さんは食器を下げるとき、必ず「今日の煮物、うまかったー、里芋っていまが旬なのか」とひと言添えます。里江子さんは「おしょうゆ、いいのに変えたのよ」などとうれしそうに返します。そこで会話は終わる日もありますが、それで十分。
秀平さんは働き盛りの頃、家事をほとんどしなかったといいます。里江子さんも何度も「これくらい自分でしてよ」と声を荒げる若き日々。妻が50代になったのを機に、家事を担当制に変えたといいます。更年期で体が疲れやすくなったという理由もあります。
秀平さんはゴミ出し、風呂掃除、休日の買い出しを担当。里江子さんは「やってくれて当然」と思いすぎないようにし、秀平さんも「手伝ってやっている」という言い方をしないようにしたといいます。
印象的だったのは、里江子さんのこの言葉です。
「『ありがとう』を言うと、負けた気がする時期があったんです。若かったな。でも、今は違う。『ありがとう』はやってあげたことの報酬じゃなくて、家の空気をよくする換気扇みたいなものだと思っています」
この感覚が、ご機嫌夫婦の核心だと思います。どちらが上か下かではなく、2人で暮らす空気を濁らせない点が大事です。小さな感謝は、相手をヨイショするものではなく、自分たちの生活を心地よくする言葉でした。
不機嫌夫婦は「昔の貸し借り」を精算し続ける
熟年期の夫婦関係が難しくなる理由の一つは、過去の不満がずっと蓄積していることです。私が運営する夫婦仲相談所でもほんとうによく耳にする言葉です。枕詞は「あのとき…」。
「あのとき、育児を私一人でやらせた」
「あのとき、うちの親の介護から逃げた」
「あのとき、仕事ばかりで子どもの非行に向き合ってくれなかった」
こうした思いは、年齢を重ねたからといって自然に消えるわけではありません。むしろ、子どもが独立し、仕事の役割が変わり、夫婦2人の時間が増えたときに表面化します。
国立社会保障・人口問題研究所の「第7回全国家庭動向調査」では、妻の家事分担割合は低下しているものの、依然として80%を超える水準にあるとされています。家事やケアの偏りは、単なる作業量の問題ではありません。「自分ばかりが」という感情の偏りにもつながります。
不機嫌夫婦は、過去の貸し借りをずっと精算しようとします。ご機嫌夫婦は、過去をなかったことにはしません。ただ、「これからの暮らしをどう軽やかに快適にするか」に焦点を移していきます。過去の反省を、未来の分担に変換できる夫婦は強いのです。
