シャウエンの顔料, Public domain, via Wikimedia Commons.
今回は、実際に使われていたとんでもない顔料(絵の具の色のもとになる粉末や物質のこと)を5つ取り上げてみます。どれも「本当にこれで描いていたの?」と思わず声に出したくなるような話ばかりです。
第1章 ミイラを砕いて作った茶色「マミー・ブラウン」
マミーチューブ, Public domain, via Wikimedia Commons.
まずは、顔料の歴史の中でもとびきり衝撃的な一品から始めましょう。その名も「マミー・ブラウン(Mummy Brown)」。
これは16世紀のヨーロッパで人気を博した茶色い絵の具ですが、原材料は文字通り、エジプトのミイラでした。人間だけでなく、猫のミイラも使われていたとされています。
ミイラをヨーロッパへ輸送し、粉状に砕いてミルラ(没薬:ミルラの木から採れる樹脂で、古くから香料や薬として使われてきたもの)や白樹脂と混ぜ合わせることで、透明感のある深い茶色の顔料が生まれました。
この顔料が画家たちに好まれた理由は、その独特の発色にあります。油絵具に混ぜると、透明感のある赤みがかった茶色が出て、人物の肌の色を表現したり、影を描いたりするのに非常に優れていたのです。ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)をはじめ、名のある画家たちがこの顔料を購入していた記録が残っています。
ドラクロワ自画像, Public domain, via Wikimedia Commons.
ところが、この顔料をめぐって有名なエピソードがあります。19世紀のイギリスを代表する画家のひとり、Edward Burne-Jones(エドワード・バーン=ジョーンズ、1833-1898)は、長い間「マミー・ブラウン」という名前を「ただの茶色の一種」として使い続けていました。
ところがある日、仲間の画家から「あの絵の具、本当にミイラで作られているんだぞ」と知らされ、愕然とします。彼はすぐに手元にあったチューブを庭に持っていき、丁寧に埋葬したと伝えられています。
作家のラドヤード・キプリング(1865-1936)がその場に居合わせており、「死んだファラオで作られた絵の具だから、ちゃんと葬ってやらねばならない」とバーン=ジョーンズが言ったと回顧しています。
マミー・ブラウンはその後、20世紀に入っても断続的に製造が続きました。ロンドンの老舗画材店であるC. Roberson(ロバーソン社)は1939年のカタログにも「エジプトのミイラの骨とビチューメンを砕いた顔料」として掲載しており、1964年にようやく製造中止に。廃業の理由は「ミイラの在庫が底をついたから」というなんとも生々しいものでした。
現代では、ハーバード大学美術館の顔料コレクション(フォーブス・コレクション)に20世紀初頭に購入されたマミー・ブラウンのチューブが現存し、展示されています。なお、今日「マミー・ブラウン」の名前で販売されている顔料は石英や酸化鉄などの鉱物を原料としており、ミイラの成分は一切含まれていません。
第2章 牛の尿が、あの名画の黄色になっていた「インディアン・イエロー」
インディアンイエロー, Public domain, via Wikimedia Commons.
ヨハネス・フェルメール(1632-1675)の《天秤を持つ女》(1662-1663)にある橙黄色のカーテン、ウィリアム・ターナー(1775-1851)の《天使、太陽の中に立つ》(1846)の金色の輝き。
こうした名画に使われていた、あの神秘的な黄色の正体を、長い間だれも知りませんでした。その顔料の名前は「インディアン・イエロー(Indian Yellow)」といいます。
ロチェスター工科大学とMoMAの研究者による2008年の分析では、ファン・ゴッホの《星月夜》(1889年)の月と星の部分にもこのインディアン・イエローが使われた可能性が示されています。ただし、この分析は多スペクトルイメージングという光学的手法によるもので、推定的な性格を持つことは注意が必要です。
インディアン・イエローは、15世紀にインドからペルシャ経由でヨーロッパに伝わったとされています。ロンドンの港には、インドのカルカッタから定期的に茶黄色の塊が届いていました。
これを砕いて結合剤と混ぜると、透明感があって深みのある黄金色の絵の具ができあがる。ウィンザー&ニュートン社(現在も世界的に有名な画材メーカー)にも同じ荷物が届いていたことが知られています。
問題は、その塊が何からできているのかが長らく謎だったことです。独特の強いアンモニア臭があり、「ヘビの尿では?」「ラクダの尿では?」などさまざまな憶測が飛び交いました。
1883年、キュー王立植物園の園長であったJoseph Hooker(ジョセフ・フッカー、1817-1911)が、インド農業省に向けて調査依頼の手紙を書きました。9ヵ月後に届いた回答は、Trailokya Nath Mukharji(トライロキャ・ナート・ムカルジー、1847-1919)という調査官による報告書でした。彼はインド・ビハール州の一地域まで直接足を運び、ついにその謎を解明します。
現地には、マンゴーの葉と水だけを与えて育てた牛の群れを管理する酪農家の一群がいました。
インディアンイエロー, Public domain, via Wikimedia Commons.
マンゴーの葉を食べると、牛の尿が鮮やかな黄色になる。その尿を素焼きの壺に集め、一晩かけて煮詰めると、底に黄色い沈殿物が残る。それを濾して丸め、乾燥させたものが「インディアン・イエロー」の原材料だったのです。
こんな素材で作られた顔料が、世界中の名画に使われていました。しかも、この製法は牛に対して非常に過酷なものでした。マンゴー葉だけの栄養不足の食事が続き、大きな腎結石を抱えた牛が多数いたとされています。牛がインドでは神聖な存在であることもあり、こうした扱いへの批判は高まり、インド政府は1908年にこの製法を禁止しました。
2018年に発表された科学的研究によって、インディアン・イエローの未精製サンプルから牛の尿に特有の成分(ヒプル酸)が検出され、ムカルジーの証言が裏付けられています。
