第3章 1000年以上使われ続けた、毒入りの白「鉛白」
鉛白, Public domain, via Wikimedia Commons.
白い絵の具といえば、現代では酸化チタン(チタニウム・ホワイト)が主流です。しかし、それ以前の数千年にわたり、白の顔料といえばほぼ一択で「鉛白(えんぱく:Lead White)」でした。
鉛白の歴史は古く、紀元前4000年頃にはすでに鉱物として採掘されていた記録があります。古代ギリシャやローマでは、鉛の板に酢をかけて腐食させ、できた炭酸鉛の白い粉を顔料として使う方法が確立されていました。
ルネサンス期には下塗り(アンダーペインティング)や肌色の表現に欠かせない顔料として広く普及し、レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)やカラヴァッジョ(1571-1610)といった巨匠たちも日常的に使用していました。
「復活したキリスト」―レンブラント, Public domain, via Wikimedia Commons.
鉛白が支持された理由はいくつかあります。まず、非常に優れた隠蔽力(顔料が下地を覆い隠す力)を持ち、白として「厚み」と「輝き」のある表現が可能でした。乾きが早く、他の顔料とも混ぜやすい。こうした実用的な長所が、毒性を知りながらも使い続けられた理由のひとつでした。
毒性そのものは、古代ローマ時代から一定程度知られていました。しかし問題は、当時の医学では「少量なら問題ない」という感覚が広く共有されていたことです。絵の具を調合する際に粉末を吸い込んだり、指についたものを口にしたりといったことが日常的に起きていました。
ここで見落とされがちな視点があります。顔料を原料の粉から絵の具に加工する作業、つまり最も粉塵にさらされる工程を担っていたのは、巨匠本人ではなく、工房で働く弟子や助手たちでした。師匠は仕上げの筆を執る側で、下準備の大半は若い助手が受け持っていました。
そのため、名のある画家よりも、歴史にほとんど名を残さない無名の職人たちのほうが、鉛中毒のリスクにはるかに深く、長くさらされていたと考えられています。
カラヴァッジョやフランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)は鉛中毒だった可能性を指摘する研究者もいますが、決定的な診断には至っていません。ただ、「画家のコリック(絵描きの腹痛)」という言葉が当時の文献に登場していることは興味深く、鉛中毒による胃腸への影響と一致する症状とされています。
鉛白は19世紀に入り、亜鉛白、さらに20世紀にはチタニウム・ホワイトの登場によって徐々に置き換えられていきました。工業用途での使用は1970年代以降、多くの国で規制されています。ただし現在でも、伝統的な絵画技法を重視する一部の画家の間では、鉛白はいまだに使用されています。
第4章 竜と象の血から生まれた赤「ドラゴンズ・ブラッド」
Dragon's blood (Daemomorops draco), Public domain, via Wikimedia Commons.
この顔料の名前を聞けば、誰でも一度は目が留まるはずです。「ドラゴンズ・ブラッド(Dragon's Blood)」訳すと「竜の血」。
もちろん実際には竜ではなく、これはもちろん別のものから作られていますが、中世のヨーロッパではこの顔料が本当に「竜と象が戦って死んだ場所から採れる血の混合物」だと信じられていました。
中世の動物寓意書(ベスティアリ:動物の特性を象徴として解説した書物)では、竜は象にとって天敵であり、両者が死闘を繰り広げた後に流れ出した血が固まってできたものだ、と記載されていたのです。
実態は、東南アジアや中東に自生するラタンヤシなどの植物が分泌する赤い樹脂でした。樹脂をそのまま固めた塊の色がきわめて鮮やかな深紅で、まるで血液を乾燥させたかのような外見をしているため、こうした伝説が生まれたと考えられています。
Dragon's bloodの木, Public domain, via Wikimedia Commons.
顔料としての歴史は非常に長く、古代ギリシャ・ローマから利用されていたことが知られています。絵の具として使われただけでなく、バイオリンのニスや木材・革の着色、さらには中世の医薬品としても重宝されました。
画として有名な使用例では、ジョット(1267頃-1337)と工房によって描かれたとされる《聖霊降臨》(制作年詳細不明)に、この顔料が使われている可能性があると研究者に指摘されています。作中の使徒たちの頭上に描かれたオレンジ色の炎の部分に、ドラゴンズ・ブラッドが使われたと分析されているのです。
顔料としての最大の弱点は「耐光性の低さ」でした。光に当たるとすぐに退色してしまうため、油彩画の主要な絵の具として恒常的に使われることは稀で、むしろ写本の彩色(テンペラや水彩での薄塗り)や、バイオリンのニスのような透明なコーティング剤として限定的に使われるケースが多かったとされています。
17世紀頃の記録に絵具としての言及が残っていますが、19世紀に入ると文献上でも「絵の具」より「ニス」として扱う記述が主流になっていきます。
ケンブリッジ大学のクイーンズ・カレッジには、1702年にジョヴァンニ・フランチェスコ・ヴィガーニ(1650頃-1713)が収集した薬品キャビネットの中にドラゴンズ・ブラッドのサンプルが残っており、現在でも見ることができるそうです。
