1998年7月に和歌山市園部の夏祭りで67人がヒ素中毒にり患、うち4人が死亡したカレー毒物混入事件は、25日で発生から28年になる。この間、2009年に死刑確定した地元の主婦、林眞須美死刑囚(65)が冤罪を訴えて再審を求め続けていることもあり、事件の真相に関心を持つ人は今も少なくない。
そんな中、法廷の内外で眞須美死刑囚の無実を訴えてきた夫の林健治さんが6月22日、病気のために入院していた和歌山市内の病院で亡くなった。81歳だった。
筆者は2006年頃からこの事件の事実関係を調べ直す取材をしており、この間に健治さんとも交流を重ねてきた。その記録と記憶をひもといた。(ノンフィクションライター・片岡健)
●「被害者」とされながら、「加害者」とされた妻の無実を訴えていた
近年、「死刑囚となった妻の無実を訴える夫」という印象が強くなっていた健治さんだが、その立場は複雑だ。眞須美死刑囚は確定判決によると、夏祭りのカレーにヒ素を入れて67人を殺傷したほか、夫の健治さんと共に保険金詐欺を繰り返し、さらに健治さんや知人男性に死亡保険金狙いでヒ素を盛っていたと認定されているからだ。
つまり、裁判の認定では、健治さんと眞須美死刑囚の関係は「一緒に保険金詐欺を繰り返した共犯者」であり、「保険金目的の殺人未遂事件の加害者と被害者」でもあるわけだ。予備知識が無い人には理解しにくいと思うが、筆者もこの事件の取材を本格的に始めるまではそうだった。
筆者が健治さんと初めて会ったのは2006年11月。当時、眞須美死刑囚は裁判で一、二審共に死刑判決を受け、最高裁に上告中だった。その裁判に異を唱える人たちが大阪で開いた集会を物見遊山で訪ねたら、そこに健治さんがいた。事件が起きた頃の報道では「その筋の人」のような風貌だったが、保険金詐欺で懲役6年の刑に服したためか、すっかりと柔和な雰囲気になっていた。

筆者はそれ以前、健治さんが眞須美死刑囚の裁判で「ヒ素は保険金詐欺をするために自分で飲んでいた」と証言したという報道に触れ、その真偽が気になっていた。健治さんに単刀直入にそれを尋ねてみると、「そうなんですよ。私はヒ素を飲んでいたんです」と申し訳なさそうに言い、こう説明してくれた。
「ヒ素で保険金詐欺というと、知らない人は怖いイメージを抱くみたいですが、私らはみんなでワイワイ楽しく保険金詐欺をやっている感じだったんです。私や知人男性がヒ素を飲むなどして入院し、保険外交員をしていた眞須美が保険金の請求などの事務的なことをしていたんです」
さらに眞須美死刑囚との夫婦関係の内実をこう打ち明けた。
「世間の人は、私が眞須美の尻に敷かれていたと思っているようですが、私は亭主関白だったんですよ。保険金詐欺で手にしたお金だって、ほとんどは私が競輪で使っていたんですから」
筆者がこの事件を調べ直したいと思ったきっかけの一つが、この健治さんの話に信ぴょう性を感じたことだった。
●「もう一度、ざる蕎麦を食べさせてやりたい」という思いで…

健治さんは当時、和歌山市役所の近くにある古いマンションで、「ポン吉」という名前のメス猫と一緒に暮らしていた。筆者はカレー事件の取材で和歌山に赴くたび、健治さん宅に立ち寄らせてもらったが、すぐに打ち解け、健治さんは何でもざっくばらんに話してくれた。
たとえば、眞須美死刑囚と一緒に逮捕された後、検察官に受けた取り調べのことはこう振り返っていた。
「検事はとにかく、わしと眞須美を引き離そうとしてたな。眞須美が浮気してたとか、『林、4人の子供の中にお前の子供は1人もおらんぞ』とか、そんな話ばっかりやった」
「検事からはこんなことも言われたな。『私は眞須美にヒ素を飲まされました。私は眞須美が憎いです』と一筆書いてくれ、と。そうしたら、八王子の医療刑務所に入れてやるから、と。そんなことまでせんと眞須美をカレー事件で有罪にできんとは、よっぽど証拠が無いんやな、と思うたな」
保険金詐欺について話を聞かせてもらった際は湯呑みを使い、ヒ素の飲み方を実際にやって見せてくれたりもした。とにかく協力的で、サービス精神のある人だった。
眞須美死刑囚についても「若い頃はキャンディーズのランちゃんに似ていて、可愛かった」とか「実家がすごい金持ちだった」とか色々な話を聞かせてもらったが、とくに印象に残っているのが次のような話だ。
「こないだ面会に行って、ざる蕎麦を食べたという話をしたら、眞須美が『ええなあ、ざる蕎麦。私も食べたいわ』と言うんや。あいつはざる蕎麦が好きだったんで。わしもこの事件、もうダメかな、と思うこともあるんやけど、そういう言葉を聞くと、頑張ってもう一度、ざる蕎麦を食べさせてやりたいな、という思いになるんやな」
筆者は健治さんと対話を重ねるうち、この人が本当に眞須美死刑囚にヒ素を盛られていたとは、まったく思えなくなった。

