板東英二さん死去 トレードマーク「ゆで卵に生き抜いた記憶を」ネットでも追悼

板東英二さん死去 トレードマーク「ゆで卵に生き抜いた記憶を」ネットでも追悼

元プロ野球投手でタレントとしてお茶の間に親しまれた板東英二さんが、22日に慢性心不全のため亡くなっていたことが28日、分かった。86歳だった。夏の甲子園で不滅の奪三振記録を打ち立て、引退後は司会や俳優としてマルチな才能を発揮した板東さんの旅立ちは、戦後81年を目前に控えた夏のことだった。トレードマークだった「ゆで卵好き」の笑顔の裏には、5歳での過酷な満州引き揚げと命を救った母の愛が存在したという。波乱万丈の生涯を遂げた偉才を偲び、ネット上ではゆで卵に思いを馳せる追悼の輪が広がっている。

マウンドとお茶の間を沸かせたマルチな才能

板東さんの訃報は、28日に公式サイトで家族により発表された。故人の強い希望により、葬儀は家族のみで執り行われたという。公式サイトには晩年、家族に見守られながら穏やかな時間を過ごしたとつづられている。

1940年に旧満州で生まれた板東さんは、徳島商高3年時に出場した58年夏の甲子園で一躍スターに。準々決勝の魚津高戦で延長18回を投げ抜き25三振を奪う死闘を演じると、大会通算83奪三振という現在も破られていない不滅の大会記録を樹立して準優勝に貢献した。1959年にプロ野球中日に入団後は通算77勝を挙げ、オールスターにも3度選出されるなど投手として一時代を築いた。

1969年の現役引退後はタレントへ転身。「マジカル頭脳パワー!!」の司会や「世界・ふしぎ発見!」の回答者としてお茶の間の人気者となった。さらに俳優としても映画「あ・うん」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞するなど、野球界出身のセカンドキャリアにおけるパイオニアとして輝かしい足跡を残した。

「ゆで卵」に込められた壮絶な引き揚げと母の愛

バラエティ番組などで親しまれた板東さんの代名詞「ゆで卵」だが、その固執の背景には、言葉では言い尽くせない壮絶な原体験と心情があったという。

戦時中の1940年に生まれ、5歳で敗戦を迎えた板東さんは、母の手によって幼いきょうだいとともに旧満州からの逃避行を経験。凍死を防ぐために夜は木の上に縛り付けられ、1年半をかけて這うように日本へ辿り着く極限状態のなか、命をつなぎとめたのがわずかに手に入った卵だったという。

母は亡くなる直前まで「ひもじい思いさせて、すまなかったねえ」と口にし、実家に帰るたびにおこわとゆで卵を用意してくれたという。勝負の世界を生き、どれだけ成功を収めても、板東さんにとってゆで卵はお腹を満たす食べ物ではなく、生き抜いた記憶であり、母の無償の愛そのものであったと語られていた。

配信元: iza!

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