●「国賠法の立法経緯が分からない」 公文書管理のずさんさに落胆
東京都練馬区出身。東京教育大学附属高校(現筑波大学附属高校)卒業後に、東京大学文科2類に入学した。「数学が好きだったので、経済をやるのが面白いなと思っていました。でも1年生の時に、刑法や民法の授業を聞いてるうちにすごく法律が面白くなって法学部にいきました」。中でも公益に関する興味が高まり、幅が広くて膨大な行政法に魅せられた。
官僚か、学者か-。公務員試験を受け、省庁回りもしたが、決め手となったのは「アカデミズムの世界の自由さ」だった。
「規則正しい生活をしてきましたので、深夜まで霞が関で仕事するのは向かないなと」。これまで単著だけでも50冊近く執筆、その間に論文も多数出している。数多くの審議会委員を歴任するなどハードな仕事をこなす宇賀氏だが、「自分で生活をコントロールできること」が重要なのだという。
助手、助教授と着実に進み、28歳の時、ハーバード大学に留学した。もともとはドイツに行くつもりでいた宇賀氏。師事する故塩野宏名誉教授からの勧めで行った米国だったが、通算3年ほどの海外生活は、自身のいまを形作るターニングポイントだったと語る。
日本では当たり前だと思っていることが覆されることもしばしば。客員教授として教鞭をとった時には、学生が授業中にどんどん質問をしてくることに驚いた。日本の学生は授業が終わってから来るが、ハーバードの学生は授業時間中の質問を躊躇しない。90分のうち、30分は学生との意見の応酬だった。
「違う立場や違う角度からの視点」の重要性、そういう人との対話や議論が生む効果にも気付かされた。その後、日本でも始まったロースクールではソクラテスメソッドという対話型の授業が導入され、米国で教鞭をとった経験が役立った。
研究者として、日米の差を強く感じた出来事がある。
塩野名誉教授の古稀記念論集『行政法の発展と変革 下巻』(2001年、有斐閣)で「国家賠償法案の立法過程」を書いた時のことだ。議論の過程を調べても、日本国内に史料は乏しかった。
「当時の審議会で議論しているのですが、驚いたことに議事録がないんです。法務省にも国立公文書館にもない。憲法17条に基づく重要な法律にもかかわらずです」
委員として参加していた田中二郎氏の回顧録や、個人的に寄贈されていた我妻栄氏や事務官のメモや資料でたどるしかなかった。占領中だったため、GHQの承認がないと政府提出法案を国会に提出できないので、GHQと日本政府の交渉記録があるのではと米国メリーランド州にある国立公文書館に調査に行くと、ちゃんとマイクロフィルムで保存されていた。
「敗戦国の法案に関する記録まで保管していて、すごいと思いました。もっとも、それを調べようとしたのは私が最初であったようで、その場で秘密指定を解除してもらいました。公文書についての考え方の違いを強く感じ、日本も公文書管理法制を整備すべきとの考えを形成した原点となっています」
宇賀氏の在任中、全国の地裁で過去の重要事件の裁判記録が廃棄されていることが問題となった。公文書管理法制定のために設置された有識者会議の委員も歴任している宇賀氏は「背景にあるのが保管場所の不足。最高裁は、現場に責任を押し付けず自らの責任を認めたのはよかったと思います」と評価する。
しかし、各行政機関では公文書管理に対する意識は、まだまだアップデートできていないといい、「アーキビストのような専門家が各役所に派遣されて、責任を持って指導したり研修したりという形が必要です」とする。

●判例を批判的に見る学者の必要性 調査官を頼りすぎない矜持
最高裁では事件が機械的に三つの小法廷に振り分けられる。第三小法廷では、不受理に誰か1人が疑問を持った場合には5人全員で集まって議論する「軽審議」が慣行になっていたという。
特に共同で反対意見を書いたことは、宇賀氏にとって印象深かったことの一つだった。「学者だけで話すのと違って、バックグラウンドがさまざまな人たちと話すのは、視点も多様で面白かったです。袴田事件では林景一さん、夫婦同氏制事件では宮崎さんと共同で反対意見を書きましたが、学者の共著とは全く違う。何度も何度もお互いの部屋を行き来して意見を交わして、一つのものを作り上げるのは初めての経験だったので、達成感がありました」
こうした裁判体での議論に向けて、膨大な事件を処理するためにあるのが裁判所法57条に規定された「調査官」の存在だ。
現在は38名のキャリア裁判官が任命されていて、事案の論点や判例学説を整理し、処理方針や調査官の意見を書いた報告書が判事に上がってくる。時に批判の対象ともなる体制だが、宇賀氏は「実際には調査官の言いなりになっているわけではなく、調査官報告書と異なる結論になることは珍しくありません」と明かす。
米国の連邦最高裁では一人の判事に補佐役として若手の弁護士がロークラークとしてつく仕組みだが、日本では担当調査官の報告書が審理するすべての裁判官に配布されるので、担当調査官の考え方が強く影響しすぎる懸念があるとする。
裁判所法では、調査官は裁判官の命を受けて必要な調査をするとされており、どこまでの調査を調査官に命ずるかについては、裁判官の裁量に委ねられている。宇賀氏は、当該事件の事実関係、関連する学説、裁判例を整理して、提出された意見書、関連する判例評釈を添付すれば、調査官報告書として十分で、調査官の意見まで記載することを命ずるのは、調査官に過大な負担を課していると考える。
裁判所法の制定附則では、最高裁調査官は必ずしもキャリア裁判官でなければならないとはしていない。「判例をクリティカルに見る訓練をした中堅の学者が任期付きでも調査官室に入れば、議論も多様化し、判例の見直し機能も高まるのでは」と提案する。
宇賀氏の最高裁での個別意見の表明は、このインタビュー直後に亡くなった恩師の塩野名誉教授の審議会等での態度から影響を受けているという。
「塩野先生は、合議体の構成員として他の委員や事務局の意見にもよく耳を傾け、その結果、当初のご意見を変更する柔軟性をお持ちでしたが、他方、学問的観点からご自身のご意見が正しいと信ずる場合には、事務局等と意見が異なっても、安易に妥協することはなく、自らの主張を貫かれました。私も、最高裁という合議制の機関で、他の裁判官や調査官の意見を虚心坦懐に聞き、受け容れられるものは受け容れるように努めましたが、やはり自分の見解が正しいと信ずる場合には、4対1や14対1の少数であっても、それを表明することが、反対意見の表明を認められた最高裁裁判官の職務であると考えました」
そもそも最高裁判事15人の中でも、学者は少数派。慣例的にキャリア裁判官が6人で、大学教授などの学者枠は1人のみだ。
裁判所法41条には「法曹三者と法律学の教授が少なくとも10人以上」としか書かれておらず、内閣の裁量に任されているのが現状だが、宇賀氏は「最高裁は民事刑事だけではなく、多くの公法事件も扱うので、その分野の専門家はいた方がいいと思います」と提言している。
研究者は、前例にとらわれず、深く広く調べるために、海外調査や国際的な比較は当然のように行う。性同一性障害特例法で性別変更に必要とされる「未成年の子なし」要件について検討した際は、自ら海外事例を調査して日本だけに残っていることが分かった。「未成年の子なし要件については、かつてあったウクライナでも既に廃止されていました」。1人で違憲だという反対意見を書き、内容に盛り込んだ。


