●「同意」があれば免責されるのか
──出演者が権利放棄や異議申し立ての禁止を定めた承諾書に署名しています。本人の同意があれば、配信後の中傷被害への対応まで配信者は免責されるのでしょうか。中傷コメントを認識しながら配信を続けた場合、放送事業者ならどう対応すべきで、配信者にも同等の対応を期待できるでしょうか。
出演承諾書に同意していても、公序良俗に反する内容や、消費者の利益を一方的に害する内容であれば無効になる可能性があります。悪質なケースでは、肖像権侵害などの不法行為責任を負う可能性もあるでしょう。
そのうえで、放送事業者は通常の法的責任に「上乗せ」した規律を積み重ねてきました。
たとえば、2020年には、恋愛リアリティショーの出演者が多数の誹謗中傷を受けた末に自ら命を絶つという痛ましい出来事がありました。これに対して、日本民間放送連盟は放送基準を改訂し、「放送内容によっては、SNS等において出演者に対する想定外の誹謗中傷等を誘引することがあり得ることに留意する。また、出演者の精神的な健康状態にも配慮する」との規定(56条)を設けました。
この規定は、バラエティー番組「月曜から夜ふかし」で、中国出身女性の発言内容を実際とは異なる形で編集した問題に対するBPO放送倫理検証委員会の判断で、初めて適用されています。
ただし、誹謗中傷の発生は予見が難しいことも多く、この規定を過剰に重視すると、番組制作の萎縮や正当な取材活動の制約を招きかねません。一方で、出演者への配慮がなければ、人々は出演をリスクと捉え、取材に応じてくれなくなります。
取材や編集の過程、そして放送後に、事業者が出演者のリスクへ誠実に配慮しているかどうかが重要だと思います。
●影響力に見合ったルールをどう作るか
──登録者数で見ればテレビに匹敵する影響力を持つ配信者も少なくありません。影響力に見合った取材倫理や被害救済の仕組みは、今後どう整えるべきでしょうか。
インターネット番組は、人々の限られた注目が経済的価値を持ち、その奪い合いが激しく起きる「アテンション・エコノミー」が強く働く場です。新規参入が容易で、放送法のような規律もありません。
コンテンツの監視はプラットフォーム事業者が担っていますが、その事業者自身もアテンション・エコノミーの論理の中にいるため、問題のあるコンテンツへ対処するインセンティブに欠けます。
さらに、近年ではさまざまな場面で「テレビ離れ」が語られますが、実際に起きているのはテレビ受像機や地上波からの離脱で、テレビ「番組」はネット上でも流通しています。ネット上で違法アップロードされたテレビ番組を皆さんもよく目にしているのではないでしょうか。
私たちは日々、テレビ的なフォーマットの動画を消費しており、マスメディアとネットは密接につながっています。同じようなものを消費し、同じくアテンション・エコノミーが働く中で、配信経路の違いだけで規律に差があるのは、「いびつな競争」を生みます。
注目を得るには人の感情、とくに怒りを刺激するのが効果的だとされ、「炎上させるほうが得」という力学が働きます。規律に縛られるよりも注目を集めることが優先されることで、ネットでは「正直者が損をする」という論理が横行します。そうした中では、規律に縛られるテレビ番組は不利な立場に置かれますし、アテンション(視聴率や再生数)を稼ぐうえで、規律を「厄介なもの」と捉えるようになりかねません。
解消の方向性は大きく二つ考えられます。
一つは、放送もネットも一律に「自由放任」にする方向ですが、これは注目を奪い合うむき出しのゼロサムゲームを招き、コンテンツの「劣化」を進めるでしょう。
生成AIがコンテンツ制作の参入障壁を下げたことも、こうした傾向に拍車をかけかねません。
もう一つは、両者を一律に規律する方向ですが、ネットの自由度の高さ(とそこから生み出される多種多様なコンテンツ)という強みを奪ううえ、配信者は膨大で執行が難しいという問題もあります。
現実的には、「規律されたメディア」と「規律されないメディア」を併存させるのが、情報の多様性のためにも望ましいでしょう。
かつて紙には規制を入れず放送にのみ入れた「部分規制論」を、媒体を問わない形で再設計するイメージです。
問題は線引きですが、影響力で対象を選ぶと線引きが難しいため、自ら手を挙げて規律に服する「手上げ方式」が望ましいと思われます。
手を挙げた事業者には、自主的に一定のルールに従う配信者には、コンテンツの可視性をあげたり、市場から評価されやすくするといった各種の優遇措置を与えるのです。これは、情報空間のエコシステムを、「正直者が損をしない」ものへ変えていく方向性と言えるでしょう。

