グスタフ・クリムト《接吻》(1907-1908年、ベルヴェデーレ宮殿、ウィーン)。縦横ともに約180センチ、ほぼ等身大の油彩・金箔。装飾と人物が一体化したクリムト「黄金時代」の頂点とされる作品。, Public domain, via Wikimedia Commons.
二人の身体はほとんど見えないのです。男は黒と金の直線模様に、女は丸い花柄の衣にすっぽり覆われて、肌が出ているのは顔と手だけ。
残りは装飾に溶け、どこまでが人で、どこからが背景なのかさえ判然としません。これほど姿が隠されているのに、この絵は驚くほど親密に感じられます。
それはなぜでしょうか。
輪郭を奪われる親密さ
グスタフ・クリムト《接吻》(1907-1908年、ベルヴェデーレ宮殿、ウィーン)。縦横ともに約180センチ、ほぼ等身大の油彩・金箔。装飾と人物が一体化したクリムト「黄金時代」の頂点とされる作品。, Public domain, via Wikimedia Commons.
《接吻》が描かれたのは、1907年から1908年にかけてのことです。実物は縦横ともに180センチほどあり、ほぼ等身大の大きさがあります。
美術館で目の前に立つと、二人を外から眺めるというより、自分までその金色の中へ引き込まれていくように感じられます。親密な場面を描くなら、表情や視線、身体の重なりを細かく見せたくなるはずです。
しかしクリムトは、あえて反対のことをしました。二人を金色で覆い、身体の境目を曖昧にしたのです。
そのため私たちは、二人との距離感をうまく保つことができません。身体の輪郭がはっきり見えないからこそ、二人の「近さ」だけがより強く伝わってきます。
過ぎ去るものを永遠で覆う
なぜクリムトはここまで金を使ったのでしょうか。古くから金は「変わらないもの」を示す素材でした。錆びず、色褪せず、長い時間が経過しても光を失いません。
だからこそ人類は、仏像や教会のモザイク、王冠、結婚指輪のように、永遠であってほしいものに金を重ねてきました。
クリムトもまた、イタリア・ラヴェンナの教会でビザンティンのモザイク画を目にしています。そこでは、神に近い存在として大切にされてきた聖人たちの背後が、金色で埋め尽くされていました。
サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂《殉教処女の行列》モザイク(6世紀、ラヴェンナ)。金色の地に聖女たちの行列が並ぶ。背景の金は、聖人たちを地上の時間から切り離し、永遠に近い世界の住人として示すための光だった。クリムトはイタリア旅行でこうしたビザンティン美術に直接触れている。, Public domain, via Wikimedia Commons.
その金色は画面を綺麗にするためではなく、聖人たちを私たちの日常とは違う、永遠に近い世界の存在として見せるための光でした。クリムトはその光を借りて、聖人ではなく恋人たちのキスを包みました。
唇が触れて、離れる。
キスは一瞬で終わります。どれほど大切な時間でも、次の瞬間にはもう過ぎ去ってしまいます。だからこそクリムトはその消えていく一瞬を、変わらない金で覆いました。
まるで「この時間だけは、このまま残ってほしい」と願うように。《接吻》の金色とは、過ぎていくものを繋ぎ止めようとする光なのです。
