「一瞬」を肯定する金色
《接吻》の金色も、同じことを語っているように見えます。二人が膝をついているのは、小さな花々が咲く崖のふちです。その先に何があるのかは描かれていません。
時間や場所もはっきりしませんが、やがて終わる一瞬だからこそ、二人はそこにすべてを預けているように見えます。
《接吻》部分。金の装飾に包まれた二人の顔と手だけがそっと浮かび上がっている。男の直線模様と女の花模様が重なり合い、抱き合う姿は金色の装飾に溶け込んでいる。, Public domain, via Wikimedia Commons.
人生のすべてを肯定するというニーチェの思想は、決して簡単なものではありません。それでもクリムトは、すぐに過ぎ去ってしまうキスの一瞬を金で包んでみせました。
完璧な記憶でなくても構いません。たった一つでも「この瞬間があってよかった」と思える時間があるなら、そこから始めればいいのです。
高校の文化祭前夜、誰もいない教室で友達と笑いながら、夜遅くまで準備をした時間。部活の帰り道、コンビニの前で仲間とアイスを食べながら、とりとめのない話をしていた夏の夕方。
あのときは「特別な瞬間だ」とは思っていなかったはずです。けれど何年経ってもふとした拍子に、その光景や匂い、会話までもが蘇ってくる。
そして思い出すたびに「あの時間があってよかった」「もう一度あったら嬉しい」と感じることがあります。
だとしたら、今日のどこかで過ごした何でもない時間も、何年か経って「あのときは良かったな」と思い返す日が来るかもしれません。そのように考えると目の前にある「今」を、もう少し丁寧に過ごしてみたくなります。
そうした小さな肯定を、クリムトは金色の光で包んだのではないでしょうか。
