“発信しても正確に伝わらない”リスクコミュニケーションの難しさ
編集部
会見等を通じて社会に情報を伝えるうえで、難しさを感じた場面はありますか。
尾身先生
パンデミックの初期は、未知のウイルスへの「不安」が社会で共有されていて、私たちの提言や考えが比較的正確に伝わりました。ところが長期化するにつれ、「不満」が蓄積されていきました。それに伴い、自分の価値観や立場に合う情報を選択的に採用する傾向が一部出てきたため、それぞれの「正解」が語られ、私たちの考えが必ずしも正確に伝わらなくなりました。
その一例は「PCR検査」です。パンデミック初期には検査のキャパシティが極めて限られる中、「すべての人を対象にすべき」「いやもっと戦略的にすべき」と世論はいわば分断の様相を示しました。このため私たちは専門家としての考えを示す必要性を感じました。経済の専門家も含め3週間かけて案をまとめ、2020年7月16日の新型コロナ対策分科会に「検査体制の基本的な考え・戦略」として提出し、その直後の記者会見でも以下のような説明をしました。
「症状のある人は最優先の対象とする。無症状の人については二つのグループに分ける。一つは、症状はないがライブハウスなどの関係者や濃厚接触者など感染の可能性(リスク)が高いグループで、このグループについては優先的に検査を行う。このグループに積極的に検査をすれば、まん延防止につながることが理論的にも経験的にもわかっていたからだ。このため、公費負担とした。
もう一つは感染リスクの低いグループで、このグループへの検査は、個々人の不安の軽減にはなるが、まん延防止にはつながらないことがわかっていたので、基本的に検査は個人負担とした」
この検査戦略については、分科会直後の記者会見でも十分説明しました。しかし、翌日の報道では、残念ながら「Go Toキャンペーン」の記事の陰に隠れてしまってほとんど報じられなかったのです。その後も検査に関する分断は続きました。
もう一つの例は、「感染経路」です。飛沫感染や接触感染に加え、空気中を漂う細かな粒子による「エアロゾル感染(マイクロ飛沫感染)」も感染経路の一つであることが世界的に認識されてきたので、2020年7月30日のアドバイザリーボードでは、明確に「エアロゾル感染がある」ことを示しました。しかし「国が隠している」との声も一部から聞こえました。
いずれもリスクコミュニケーションの難しさを痛感させられた出来事でした。パンデミックの渦中において社会全体で行動変容をするためには、一方的な情報伝達では不十分です。相手の感情や価値観を理解した上での、双方向の「共創的コミュニケーション」がカギとなります。そうすれば、「合意」することは無理でも、お互い「納得」はでき、不必要な分断を減らせる可能性があります。次の感染症流行で同じことを繰り返さないためにも、情報発信の在り方・情報の受け止め方の改善が、感染状況が落ち着いている今こそ社会全体に求められるのではないでしょうか。
編集部
そのような裏事情があったのですね。
必要な情報が必ずしも正しい形で届かない、あるいは本来の意図とは異なる形で受け止められてしまうというのは、私たちにとっても他人事ではありません。根拠のある情報を、誤解を生まない形で伝え続けること――情報発信の在り方をより意識していきたいと改めて感じました。不安なときこそ情報の発信元を確かめる習慣を持つことが大事ですね。
そのうえで、症状や接触の有無だけで受診すべきか判断が難しいときは、市販の検査キットやオンライン診療、かかりつけ医への相談など広がった選択肢を活用し、迷ったら専門家に相談していただきたいですね。
問われたワクチンの是非――重症化予防効果を示す論文は複数発表
編集部
ワクチンの効果の根拠となる研究はあるのでしょうか。
尾身先生
今回のワクチンは、効果や副反応について、完璧なワクチンではありませんでした。しかし重症化・死亡予防効果は確かにあったとの指摘が、観察研究以外にも症例対照研究、二項分布を用いた数理モデルなど異なる研究方法によってなされ、国内外の信頼されている医学雑誌に論文として発表されています。
たとえばオランダの研究(EuroSurveillance、2024年)では60歳以上の入院予防効果が71%、米国の研究(JAMA Internal Medicine、2024年)では18歳以上で62%と報告されています。手法は研究ごとに異なりますが、いずれも一定の重症化・死亡予防効果が示されたとしています。国内の研究も複数あり、長崎大学熱帯医学研究所 VERSUS Study 第11報(2024年)や国立感染症研究所感染症疫学センターら4機構による共同報告(2021年)などで同様の指摘がなされています。

