富岡で培われた木工の技術

引用:株式会社 三木
今となっては世界中にユーザーを持つ三木ですが、こうした技術と「木を見る目」は、どこから始まったものなのでしょうか。
はじまりは1924年、富岡の街なかで木工を始めた、三木さんの祖父である三木福次郎氏。富岡製糸場で使われた織機の部品「シャトル」を削り、さまざまな木製品を手がけていました。
キュー作りが始まったのは1960年のこと。二代目の三木雄次さんが、職人の手仕事を機械で再現しようと専用の旋盤を考案したのが出発点でした。
掲げたのは「誰もが同じ品質を再現できる」という考え方。腕のいい職人一人に頼るのではなく、誰が作っても同じものができる仕組みを、早い時期に築いたのです。

引用:株式会社 三木
1971年からは、長いOEMの時代に入ります。海外ブランドの名前を冠したキューを、表に出ずに作り続ける日々。1970年代の半ばには、アメリカ向けのポケットキュー、ヨーロッパ向けのキャロムキュー、イギリス向けのスヌーカーキューと、月に2000本もの完成品が富岡から世界へ送り出されていました。


この時代、三木のもとには次々と難しい注文が届きました。木に素材をはめ込んで模様を描く「インレイ技法」の細工や、緻密な彫刻装飾。それらにひとつずつ応えていく技術力が、また次の仕事を呼び込みます。1980年代にはコンピューター制御の工作機械をいち早く導入し、さらに複雑な意匠を実現できるようになりました。
名前は表に出ないまま、世界のビリヤードを支えていた数十年。そこで積み上げた精度と装飾の技術こそが、いまの「メッヅ」と「エクシード」の土台になっています。
「あれはどこのキューだ」

自社ブランドが世界で評価されるまでには、いくつかのきっかけがありました。
「やっぱり一番は、とにかく、いいものを作り続けることなんです。モノづくりに終わりはありません。常にその時代にある最先端の技術、そしてこれまで培ってきたノウハウ、そこに新しいアイデアを掛け合わせながら、作品を生み出し続けるのです」
その理念のうえで、国内では、世界チャンピオンにもなった高橋邦彦選手に契約プロとしてキューを提供したことが、大きな弾みになったのだそうです。
また海外では、フィンランドの名選手、故 ミカ・イモネン氏の存在があります。「The Iceman」の愛称で世界中にファンを持つ彼が三木のキューを使ったことで、その名が一気に広まりました。

引用:https://mezzcue.com/jp/players_pool/europe/finland/mika_immonen
中国での人気には、思いがけないきっかけもありました。
「中国のトッププロたちが弊社の製品を愛用してくれていて、彼らが大きな試合で幾度も優勝を重ねる姿を見たビリヤードファンの間で『あれはどこのキューだ』と話題になり、メッヅ、エクシードキューの人気にさらに拍車がかかったんです。ビリヤードの世界には、憧れの選手が使う道具を自分も試したくなる、そんな文化がありますから」
いま、三木のキューは作っても追いつかないほど売れています。生産はフル稼働で、オーダーメイドは現在休止しているほど。人気を反映して、二次流通では定価を大きく上回る価格で取引されることもありますが、三木としてはユーザーに配慮し、値上げには慎重な態度を取っています。
