怒りの正体は「視線」
ここまでなら「少し際どい絵」で済んだかもしれません。
しかし人々の居心地を悪くさせたものは、別のところにありました。彼女の視線です。
女神はたいてい目を伏せています。
眠っていたり、よそを向いていたりして、こちらの存在など気にしていないように見えます。だから見る側も、安心してその姿を眺めることができました。
ところがオランピアは違います。まっすぐこちらを見返してくるのです。見ているはずの自分が、いつのまにか見られている。そして立場が静かに入れ替わります。
侍女が差し出す花束を見るとよく分かります。あれは誰かが彼女に贈った花です。その贈り主は誰なのでしょうか。絵の構図はその贈り主を画面の外、ちょうど鑑賞者の立つ場所に置いています。
つまり私たちは絵の前に立った瞬間、花を持って彼女の部屋を訪ねてきた客の位置に立たされるのです。
サロンに集まっていたのは、多くが裕福な紳士たちでした。紳士たちは自分たちとは無縁の世界を眺めるつもりで、気軽な気持ちで絵の前に立ったはずです。ところが絵の中の娼婦は、そんな紳士たちを値踏みするように見返してくる。
人々が憤ったのは、彼女が裸だったからではありません。
「あなたは今、お金を払う客としてここに立っている」
そう突きつけられたとき、なんとなく眺めていたつもりの自分こそが、娼婦に品定めされていたことに気づくのです。
風向きが変わるまで
《オランピア》への非難はやみませんでした。新聞は絵をこきおろし、打ちのめされたマネはパリを離れてスペインへ旅に出ます。
そんな中で、はっきりと味方についた人がいました。作家のエミール・ゾラです。
エドゥアール・マネ《エミール・ゾラの肖像》(1868年)。油彩・カンヴァス、146.5×114cm。オルセー美術館(パリ)蔵。画面右上には《オランピア》の複製が描き込まれている。, Public domain, via Wikimedia Commons.
ゾラは新聞の紙面上で、激しい非難を浴びていたマネを「未来のルーヴルに飾られるべき巨匠である」と公然と擁護しました。しかし当時の人々に彼の真意が届くには、まだ長い時間が必要でした。
やがて時代がマネの芸術に追いつきます。転機は1890年でした。
かつて共に印象派の道を切り拓いた盟友、クロード・モネが立ち上がります。《オランピア》が国外へ流出する危機を知ったモネは、有志を募って資金を集めるキャンペーンを開始したのです。
画家が画家の名画を守る。その熱意に冷ややかだった世論もついに動かされました。買い取られた絵はフランス政府へ寄贈され、かつて傘で突かれようとした一枚は、今やフランス国民の宝となっています。
現在はオルセー美術館で、訪れる人々の視線をまっすぐに見つめ返しています。
